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解説 漂流教室2 [2002年自閉症カンファレンス講演会]

学校の怪談
その弐 漂流教室

これも中一の一学期、若葉新緑のころだった。
その朝もいつもと何らかわりなく、弁当を持って家を出た。
テレビでは連続テレビ小説「あしたこそ」をやっていた。
心なしか通学路はひとけがなくてひっそりしている。
一瞬日曜日かと錯覚しドキッとしたが、それなら朝の連続テレビ小説をやっているはずがない。
注記:
   私達も失敗をしたくてしている訳では無い。キチンとテストの時の失敗を糧にこうやって
   テレビ小説が放送していた事を思い出して、自分の行動が不適切でない事を確認している。
   しかし、本人(美代子)はまだ気付かない。

校門のところでやっと向こうから歩いてくる人間に遭遇し、ホッとする。
それは中年の家庭科教師だった。
「おはようございます」、
彼女に挨拶してから先に校門をくぐったが、入り口周辺には誰もいない。
そればかりではない。下駄箱にも誰もいないし、その先に見える校庭も無人だ。
どういう事なのだろう。
上履きに履き替え一年二組の教室に向かったが、途中の廊下にも誰もいない。
両側の教室からも人声がしない。
予想していた通り、一年二組の教室にも人っ子ひとりいない。
しばらく自分の机で呆然としていたが、仕方ないので帰ることにした。
廊下をとぼとぼ歩いていると、突然気が付いた。
あーっ、今日は運動会だ!

注記の注記:概念化できないと言う事の例
      私達自閉症は知能にかかわらず概念化出来ないという事が「ヒト」と生活する上で
      障害になる事が多い。
      感想文が書けないと言う事が分かりやすい例だが、概念化できないとはどう言う事か。

      ネット上のアスペは、「つらくかなしい」と言うと「私もそうです」とわかり合える。
      「生きづらいのです」と言うと「私も、私も、だって私もアスペ」とわかり合える。

      この「つらくかなしい」「生きづらい」「いきづらさ」と言うのが概念での理解であり
      これらが簡単に理解出来るのは、概念を理解出来る「ヒト」であり、
      その時点で、自閉症のグループ、自閉症のスペクトラム上には生きていない事が分かる。


      私達はどうなるか。この漂流教室の話を聞いたら一通り笑った後に
      「そう言えばこんな事が」「そう言えばあんな事も」とエピソードに対して、
      同じ様な感じ方をしただろうなと言うエピソードがつぎつぎ出てくる。

      もちろん、そんな話が出てくるのは本当に稀少で、まだ数人にしか出会えていない。


      では、私の同様のエピソードは。といっても、さすがにこれ程凄い話は私にも無い。

      私はどうもノロマであったようで、体育の時に着替えるにしても何かで集合するにしても
      いつも最後になってしまう。
      だから、誰もいない教室から慌てて出て行く光景は日常で、小学4年生の教室から
      体操着を着た誰かが走り去り、シーンとした教室を慌てて飛び出し、さらに誰もいない
      廊下を走る場面はいろいろ蘇るが、慣れっこで思い出しても全くドキドキしない。


      さらに言えば、高1の午後昼寝をしていたら余りの静けさに目を覚ますと、誰も教室に
      おらず、視聴覚教室への移動を思い出して、視聴覚教室へ行ったが、もう20分も
      過ぎていて、さすがにもう入れないなとあきらめた思い出もある。
      しかし、「なんだ誰も起こしてくれないんだ」とは思ったが、飛び上がるほど驚いたと
      言う事は無い。

      髙2の春?には、書道部の部室から教室に帰る途中なんだか廊下に人気が無い。
      不思議に思いながら教室へ着いたら、やっぱり人が居ない。廊下の一番向こうから
      「こっちだこっち」と誰かの声がしたから廊下を見たら誰かが何処かの教室へ走り込む姿

      と、校庭の方からスピーカーの声がするから「ああ、体育祭の全体練習か」と気付き
      着替えず校庭へ向かった事もあった。

      でもこの漂流教室ほどひどいエピソードじゃないよな。


      高校を卒業し、大学生か社会人になった後から、あの時誰もいない教室に入り込んで
      いた二人組は、教科書でも盗みに入っていたのかと気付いた。
      あの頃、教科書が盗まれたと騒いでいた奴がいたもんな。

      それだって、この漂流教室ほどひどくない。


      こうやって、「概念化」が出来ない私達は、エピソードを披露しあいながら、
      どっちがヒドイ、そっちがヒドイと言い合っているのだ。



何かに気を取られて忘れていた訳ではなかった
うっかり忘れていたというならまだ救いがある。
今日が運動会だということに、たった今気が付いたのだ
そう言えば先週来、学校全体がザワザワガヤガヤと落ち着かなかった。
すなわち創作ダンスの通し稽古やら、ホームルームで配られたゼッケン、
揃いの鉢巻き、観客席の割り振り、ガリバン刷りのお知らせの数々、
突如として校庭に出現した巨大なベニヤ板のポスター数枚、
ダメ押しで「あしたお弁当どうしようかなあ」という帰り際の友人の不可解な独り言。
これらの意味が、突如として統合されたのだ。
注記:
   小学校5年にもなると普通学級に通う中で「発達の障害」の子供は顕著になってくる。
   ほとんどは、ADHDに含まれる落ち着きの無い子、授業中もしゃべり続ける子、その他で
   数も多いし先輩教師も経験があるからそのノウハウは教師仲間で蓄積されている。
   その教師が、教師生活の中で巡り会うか会わないかの子供が「アスペルガー症候群」の子供で
   対処法などのノウハウは皆無。実績のある書籍も無い。
   そんな子供を受け入れてくれるのが医療機関。今では少数であるが小児発達専門の機関が
   ある様だ。
   そこに集まってくる子供はすべて発達障害かというとそうでは無い。
   今ここで「情報の統合が出来ていない」例を挙げた。
   私達を含む同じ様な子供はよく「トンチンカンな事を言う」。
   これは情報の統合方法が普通に発達した子供より遅れているからだ。
   経験と知識の積み重ねで多少は誤魔化し方が上手くなるが、基本的な部分は変わる事は無い。
   さて、小児発達障害の専門医に集められた子供の中には、別の障害を持つ子供も含まれる。
   それが、統合失調症、或いは統合失調症の前段階の子供だ。
   雰囲気は自閉症の子供と似通っているし行動様式だけを見れば区別が付かない
   特に、情報の統合が出来ていないと言う所は全く同じだ。しかし大きな違いがある。
   やがて成長し統合失調症の症状が出る子供は、統合できない情報の元が人、他人、人間にある。
   漂流教室の情報はすべて事柄で、それらを上手く統合出来ていないから運動会に繋がらない。
   一方統合失調症は「心」を持っているから、「私の噂話をしている」「私の悪口を言っている」
   さらに成長して進行すると、「外に出ると全員がこっちを見る」と言い出したりするが、
   すべて対象物が人間だ。
   さらに簡単に言うと、「生まれつき統合が出来ない」が私達自閉症であり、
   「生まれたときは統合が出来ていて心を持つが、やがて統合が緩み始める」のが統合失調症。
   実際、精神科医の問題として、統合失調症と自閉症の混同が問題視されているし、
   自称発達障害のブログを見ると、自分を統合失調症と認めたく無い人が殆どである。

今日は運動会なのだ。
さあ大変だ。運動会はよそのグラウンドを借りて行われる。
私は急いで家に駆け戻り、体操服に着替えると、支給された鉢巻きをしめ、
ゼッケンとそれを縫いつける為の針と糸、弁当を持ち、
驚く母親に説明するのももどかしくグラウンドに向かった。
15分ほど走りに走り、やっと着いたときには吐きそうになっていたので、
「気分が悪くて遅れました」という言い訳が居ながらにして強い説得力を持った。
開会式はとっくに終わっており、競技が始まっていた。

     そして、静かな日常が戻ったある日。
家庭科の時間、みんなはミシンを踏んでいた。
突然「ちょっと来てくれる」、
あの日校門で出会った家庭科教師が手招きするではないか。
私は血の気が引いた。
てっきり運動会の事で怒られるのだろうと思い、クラゲ状態になって漂って行くと、
教師はやさしく「あなたのおうち遠いの?」と聞く。
安心した私が「いいえすぐ近くです。そこをまっすぐ行って信号渡って、五分くらいです。」
と詳しい道順を教えると、
次は「あなた体弱い?」と聞く。
「いいえ」と答えると、
今度は「あなたのおうち、躾けは厳しい?」と聞くので、
「そんなに厳しくないです」答えると、
教師は「・・・はい、いいわよ」と解放してくれた。
注記:
   この辺は現役の教師に是非聞きたい所。我こそと思う方コメントを。
   この家庭科教師は運動会の当日に着替えもせず一人で登校したこの子供の事情を探ろうと質問。
   しかし、ここに私達自閉症アスペルガー症候群の特徴が出ている。
   1.意図を見抜きふさわしい返答をする。と言う事が出来ない。
     今、61才の私がこう書いていても、彼女の返答は満点でこれ以外の解答が思い浮かばない。
     つまり、教師の質問には何か別の意図があるだろうと理解は出来るが、
     その見えない意図(メタ言語)はそのまんま見えない。今でも見えない。
   2.きっと特徴があるはずだが、私には余りに正しい答えなので特徴を指摘出来ない。
さっぱり訳がわからない
     そして、又静かな日常が戻ったある日。
私は二年生になっていた。
家庭科の授業の真っ最中、同じ教師が、突然「あなた太ったわよねえ」と言う。
教師の言う通りで、二年生になって急激に太ったので「はい」と言うと、
「かわいくなったわ、ねえ」とみんなに同意を求める。
みんなは大笑いするし、さっぱり訳がわからず
注記:
   私も訳が分からない。恐らく教師は自身の中でなんらかの結論を得て、
   太った美代子を改めて遡上に挙げその健康振りを確認し、納得出来たんだろう。

教師も「運動会の日にセーラー服で学校に来た変な子」の謎解きに
二年越しで苦しんでいたに違いない。
漂流教室
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つづく

【自閉症テレビ24】社会性豊かなASD


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