解説 ランゴリアーズ [2002年自閉症カンファレンス講演会]
学校の怪談
その呂久 ランゴリアーズ
英語学校にミス・ミラーというそれは厳しいアメリカ人の教師がいた。
日本の学生は怠け者、が口癖だったが、男子学生には比較的甘かった。
私は二年生のとき彼女の選択クラスを取った。
週一回わずか20人足らずのにんきのない講座で、
机をコの字に並べ替え、あらかじめ決めてあったトピックスを話し合う。
ミス・ミラーはコの字の切れめに座っていて、気が向けは、ハウバウチュウ?
と生徒ににこやかに質問する。
といった気楽な授業だった。
ハウバウチュウ?
ある時指名されたので私が答え始めると、ミス・ミラーのにこやかだった表情がみるみるゆがみ、
それは恐ろしい表情になった。
フンッと鼻息と共に立ち上がると、コの字を突っ切り、私の前に来てこう言った。
「どうして私が`ミス・スズキ’に質問すると、いつも`あなた’が答えるんですか!」
もちろん英語である。
ミス・スズキというのはいつも私の隣に座っている仲良しである。
訳がわからず、体中の血が地面に吸い込まれる感覚で、私は「いつも・・・ですか?」と言った。
もちろん英語である。
これは単なるオウム返しであったが、火にあぶらを注いだ。
ミス・ミラーはよくぞ言った、とばかりに、
「そう、`いつも’です。
でも`今日’はあなたに聞きたいんじゃありませんからね。
ミス・スズキに聞きたいのです。なぜなら・・・ぺらぺらぺら」
もちろん英語である。
その口調は腹に据えかねて、とか堪忍袋の緒が切れた、という感じだったが、
私はミス・ミラーのヒステリーだと思った。
注記:予想外のリアクション
私たちは時として、突発的と言うか、周りの人が仰天するというか、そんな場面に出くわす。
「人の気持ちを考えなさい」「相手の身にもなってみなさい」「相手の気持ちになりなさい」
強く強く、毎日毎日仕込まれた私は、SAMの障害からできないのにも関わらず、母親に
要求され続けてきた。
それでも、突発的なリアクションに遭遇してしまう。まあ自分で原因を作っているんだけどね。
その場合、ソコに至る原因、要因、手順、状況、ありとあらゆる事を考える。
ところが、自閉症だから分かる訳が無いんだが、答えが出るまで考える。
答えが出ない「相手の心」の問題を無理矢理考えているんだから「鬱」になる。
こうして強固な鬱体質が出来上がった。
出来ない事をやらされたのはこの子も同じ読んで見て。
一方、妻はその私たちの「理解の範疇の外」の事を無理に理解しようとせず、
「ヒステリー」の一言で片付けている。無駄に考える時間を使わない。
これは精神的に健康でいられる、無意識に手に入れたテクニックだ。
見習いたいけどすでに壊れている私には、今さら獲得出来ない技術だ。
ミス・ミラーは言うだけ言うとミス・スズキに向き直り、同じ質問を繰り返したが、
無理に作った笑顔はすさまじいものだった。
ミス・スズキは質問に答え、授業は何事もなかったかのように進んだ。
ランゴリアーズ
英語学校在学当時の私の視力は両眼とも裸眼で1.5でした。
私が人の視線の向きが読めない、ということは主人に指摘され初めてわかりました。
43才の時です。
注記:視線が読めない (指さしが分からない)
「ホラ あの人見てごらん」「ちょっと あそこ見てみて」
言っても
「あぁ 」「ふーん」「あっそうなんだ」となんともはりあいの無い返事を繰り返す妻。
しかし、一緒にいればその指す所が分かっておらず、そのわからなさを説明するのが面倒なので
適当な生返事をしているのが分かってくる。
そしてその原因が、人の目線を追う事が出来ない、指さしの意味が分かっていない。
さらにモノを立体視していない事が各種実験で判明した。
では同じ自閉症の私はどうか。
私の場合は、5~6才の頃家族兄弟の中で暮らす内に、指差す先が分からないと非常に不便な
事が多かった。
そこで、指を指すと言う事が、目線と指(腕全体)の指す方向の交差点で示す事を理解し、
以来人の目線と腕の三角法で対象物を見出し、実際間違った事は無い。
同じ自閉症なのに全く違う表出。
だから、「自閉症は××でなので、○○でやってやれば理解出来るのです」なーんていう療育を、
ニセモノだと言うんだ。
(2023/08/22追記:定義無く広まった療育と言う用語。この魔法の言葉を使えば万能?
療育商売が蔓延して20年。やっと吉川徹先生達が明確な定義づけをしてくれた。
親を含む関係者は、必ずこの講座を見て欲しい。
自閉症はそれ程複雑で困難な障害なのだ。
これらのエピソードの前後にも、カテゴリーごとにごっそり並んでいて壮観です。
最近はあまりありませんが、それはほとんど外に出ないし、人と接触しない為です。
おあとがよろしいようで。
つづく
【自閉症テレビ13】見て分かる?
その呂久 ランゴリアーズ
英語学校にミス・ミラーというそれは厳しいアメリカ人の教師がいた。
日本の学生は怠け者、が口癖だったが、男子学生には比較的甘かった。
私は二年生のとき彼女の選択クラスを取った。
週一回わずか20人足らずのにんきのない講座で、
机をコの字に並べ替え、あらかじめ決めてあったトピックスを話し合う。
ミス・ミラーはコの字の切れめに座っていて、気が向けは、ハウバウチュウ?
と生徒ににこやかに質問する。
といった気楽な授業だった。
ハウバウチュウ?
ある時指名されたので私が答え始めると、ミス・ミラーのにこやかだった表情がみるみるゆがみ、
それは恐ろしい表情になった。
フンッと鼻息と共に立ち上がると、コの字を突っ切り、私の前に来てこう言った。
「どうして私が`ミス・スズキ’に質問すると、いつも`あなた’が答えるんですか!」
もちろん英語である。
ミス・スズキというのはいつも私の隣に座っている仲良しである。
訳がわからず、体中の血が地面に吸い込まれる感覚で、私は「いつも・・・ですか?」と言った。
もちろん英語である。
これは単なるオウム返しであったが、火にあぶらを注いだ。
ミス・ミラーはよくぞ言った、とばかりに、
「そう、`いつも’です。
でも`今日’はあなたに聞きたいんじゃありませんからね。
ミス・スズキに聞きたいのです。なぜなら・・・ぺらぺらぺら」
もちろん英語である。
その口調は腹に据えかねて、とか堪忍袋の緒が切れた、という感じだったが、
私はミス・ミラーのヒステリーだと思った。
注記:予想外のリアクション
私たちは時として、突発的と言うか、周りの人が仰天するというか、そんな場面に出くわす。
「人の気持ちを考えなさい」「相手の身にもなってみなさい」「相手の気持ちになりなさい」
強く強く、毎日毎日仕込まれた私は、SAMの障害からできないのにも関わらず、母親に
要求され続けてきた。
それでも、突発的なリアクションに遭遇してしまう。まあ自分で原因を作っているんだけどね。
その場合、ソコに至る原因、要因、手順、状況、ありとあらゆる事を考える。
ところが、自閉症だから分かる訳が無いんだが、答えが出るまで考える。
答えが出ない「相手の心」の問題を無理矢理考えているんだから「鬱」になる。
こうして強固な鬱体質が出来上がった。
出来ない事をやらされたのはこの子も同じ読んで見て。
一方、妻はその私たちの「理解の範疇の外」の事を無理に理解しようとせず、
「ヒステリー」の一言で片付けている。無駄に考える時間を使わない。
これは精神的に健康でいられる、無意識に手に入れたテクニックだ。
見習いたいけどすでに壊れている私には、今さら獲得出来ない技術だ。
ミス・ミラーは言うだけ言うとミス・スズキに向き直り、同じ質問を繰り返したが、
無理に作った笑顔はすさまじいものだった。
ミス・スズキは質問に答え、授業は何事もなかったかのように進んだ。
ランゴリアーズ
英語学校在学当時の私の視力は両眼とも裸眼で1.5でした。
私が人の視線の向きが読めない、ということは主人に指摘され初めてわかりました。
43才の時です。
注記:視線が読めない (指さしが分からない)
「ホラ あの人見てごらん」「ちょっと あそこ見てみて」
言っても
「あぁ 」「ふーん」「あっそうなんだ」となんともはりあいの無い返事を繰り返す妻。
しかし、一緒にいればその指す所が分かっておらず、そのわからなさを説明するのが面倒なので
適当な生返事をしているのが分かってくる。
そしてその原因が、人の目線を追う事が出来ない、指さしの意味が分かっていない。
さらにモノを立体視していない事が各種実験で判明した。
では同じ自閉症の私はどうか。
私の場合は、5~6才の頃家族兄弟の中で暮らす内に、指差す先が分からないと非常に不便な
事が多かった。
そこで、指を指すと言う事が、目線と指(腕全体)の指す方向の交差点で示す事を理解し、
以来人の目線と腕の三角法で対象物を見出し、実際間違った事は無い。
同じ自閉症なのに全く違う表出。
だから、「自閉症は××でなので、○○でやってやれば理解出来るのです」なーんていう療育を、
ニセモノだと言うんだ。
(2023/08/22追記:定義無く広まった療育と言う用語。この魔法の言葉を使えば万能?
療育商売が蔓延して20年。やっと吉川徹先生達が明確な定義づけをしてくれた。
親を含む関係者は、必ずこの講座を見て欲しい。
自閉症はそれ程複雑で困難な障害なのだ。
これらのエピソードの前後にも、カテゴリーごとにごっそり並んでいて壮観です。
最近はあまりありませんが、それはほとんど外に出ないし、人と接触しない為です。
おあとがよろしいようで。
つづく
【自閉症テレビ13】見て分かる?
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