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消えた世界自閉症啓発デー [消された世界自閉症啓発デー]

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文科省が発表した発達障害は10人に1人
文科省の発表によると発達障害は6人に1人
東洋経済に至っては「自閉症は10人に1人」とまでなっています。


こう言う数字、一度はマスコミで見た事があるでしょう。
今日このネタを書こうと思い裏を取ろうとしたら、文科省のデータを見て驚きました。
「発達障害の児童6.5%」 これならまともなデータです。(51ページ中程)


では、今までのマスコミ情報は何だったんだ?マスコミの質の低下か?


まあ私はライター個人の意図的な数字の書き間違いだと考えています。
間違えるにもホドがあるよね。



さて、この資料には新たな発見が。

特別支援学級のカテゴリー分けに、自閉症・情緒障害

通常の学級では         自閉症
                情緒障害
                学習障害(LD)
                注意欠陥多動性障害(ADHD)


見て何か気付きませんか?なぜ発達障害が無いの?発達障害が書かれていない。
そうです。発達障害という「障害」は書かれていないのです。
この分類なら日本の診断基準ICD-10に沿った内容になっていて、厚労省とも齟齬の無い分類。
つまり文科省でも個別の障害として「発達障害」は分類、認識していないと言う事です。


そして、追記としての発達障害6.5%。
この表現なら、発達の障害、つまり生まれつきの障害ですよと言う意味になります。

なる程これならライターが大好きなDSM-5の基準に準拠した表現そのモノです。
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元データの文科省の情報を知ると、日本のライターの数字の転記間違い、書き間違い、
その露骨な恣意的とも思える行為は非道いですね。ただ、そういう誰かが得するような事を書いて
おけば、もしもの時、例えば伊藤詩織さんの事件のような時に役立つのかもしれません。



さて、ライターの恣意的行為で書き換えられた発達障害自閉症児の割合。
いくらライターだって、なんか元になるデータが無ければ数字の書き間違えようがありません。



ではその元データはどこらか来ているか。



2000年ごろ創価学会の教師グループが教職員有志のアンケートを募集。
「扱いづらい生徒」について回答を得る。それを基に
「発達の障害の可能性がある扱いにくい生徒」と言うのが、確か10人に1人。



以降この数字は、時に形を、時に数字を変えて大いに活躍した訳です。



そしていつの間にか「創価学会発文科省型発達障害」(後述)として子供のほとんどが発達障害に。



自閉症は?と言うと、膨大に膨れ上がった発達障害児童に埋没してなし崩し。

その一番の例が「世界自閉症啓発デー」



せっかく国連で決まった世界自閉症啓発デーが、日本では発達障害啓発週間にすり替えられ
「発達障害」の為の発達障害デーになっています。



   国連ではこう言っているのです。
   世界自閉症啓発デーは、自閉症の人たちの人権のために立ち上がり、
   自閉症の人たちへの差別に対して訴えていく日となっています。
   世界自閉症啓発デーには、すべての自閉症の人たちの
   完全参加を促進し、
   彼らの権利と基本的自由を行使するために必要な支援を確実に
   行うという我々のコミットメントを改めて確認します。



これが国連で定義された世界自閉症啓発デーなのです。発達障害の啓発を訴える日ではありません。
「乳がんに理解を」の日を「ガン撲滅週間」にしましょうと言いますか?
意味が無くなる事は誰でもわかるでしょ?強い意図を感じませんか?
日本自閉症協会がそれを率先して行っているのです。
私に、私たち自閉症に人権が無いのも良く分かります。
現在日本自閉症協会を初め世界自閉症啓発デー実行委員会他関連ホームページでは
上記の国連が発した宣言の文言を見る事は出来ません。残っているのはリンクした仮訳pdfだけです。

Scan0067.jpg
このメールの主 辻井正次 とはこう言う方。



さらにここで再度マスコミの言う発達障害と言う言い方のデタラメな概念を。



日本には発達障害を示す指標が3つ。先ずDSM-5。これは「病名・用語翻訳ガイドライン」。
発達障害はチック症知能障害ADHD自閉症等含む、生まれつきの障害と言う概念。


次にICD-10。これは「疾病及の国際統計分類」医療現場で使われている指標。
もちろんダウン症、チック症、統合失調症、知能障害、ADHDは発達障害には含まれず
別の障害としてそれぞれ明確な分類がなされています。


そして最後は「創価学会発文科省型発達障害」これは本日から訂正します。
平成31年1月1日(火)より「創価学会発文科省お墨付き風発達障害」マスコミで使われている表現
ほとんどこれ。ダウン症はダウン症。しかし、知能障害は発達障害。ADHDは勿論発達障害。
統合失調症は多分発達障害。ひきこもりも発達障害。人付き合いが苦手だと発達障害。
つらくかなしい発達障害。生きづらければ発達障害。
勉強が出来ないのは発達障害。運動がにがてなのも発達障害。なりたくなれば発達障害。

これなら、子供はほとんどこれに当たるから不安になった親はカウンセラーに駆け込みます。



世界自閉症啓発デーだけを見てもこうなのですから、日本では自閉症児が自閉症である事だけでも困難。

カナー型は療育で自殺未遂する迄追い詰められ、
アスペルガーは名誉毀損で専門家に訴えられるのです。



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自閉症のいちばん分かり易い理解の仕方 [SAM]

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1989年 ローナ・ウイングを筆頭にアトウッド、バロンコーエン、フリス、ハッペ等の研究が結実し、
自閉症の理論的な定義が医学界で受け入れられ、判定基準となりました。

それまで、特に知恵遅れの子でも、果たしてその子供を自閉症と言うべきか否かは、おおよそでしか
判断出来なかったのです。






それが理論的に自閉症か否かを判断出来るようになり、知能が高い自閉症がいる事も証明されました。
その知能の高い自閉症を「アスペルガー症候群」とし、過去の呼び名を現在に蘇らせ流用しました。
古典的自閉症のカナー型から知能の高い自閉症アスペルガー症候群。
すべてのタイプを「自閉症スペクトル」に含まれるモノ、一つの障害として定義づけたのです。






此所に至るには、人工知能の生成ロジックや人間の認知研究の結果も非常に大きな力を発揮しました。
用語ばかりが難しい自閉症の理論ですが、最も分かり易いのが今日の話です。






子犬にカガミを見せます。子犬は仲間が居るかとカガミに鼻を付け、さらにカガミの裏側に回ります。
これで、カガミはカガミであり仲間では無いと知ります。そして、もう興味を持ちません。
トリから猿、イルカまで同じ行動をとります。  これは動物の行動です。






18ヶ月以前の幼児にカガミを見せます。カガミに向かって笑いかけたり、手で触ろうとしますが、
それで終わりです。これも動物と同じ行動です。






22ヶ月を過ぎた幼児にカガミを見せます。この時、鼻の頭にクリームを少し付けます。
鼻の頭にクリームを付けた顔を見て大笑い。すぐに自分の鼻にクリームが付いていると判断し、
鼻に付いたクリームを取ろうとしたり、大笑いしながら母親に見せようとしたりします。

この行動は、「カガミに映っているのは自分の姿である」と認識したと言う証明です。つまり「マインド」(この場合は自我)を持っている。自分と言うモノを認識していると言う事です。






この実験は、人間の認知を知る実験として広く知られ、ディスカバリーチャンネルでも非常に上手に
映像化されていますから、皆さんもテレビで見た事があると思います。






この18ヶ月から22ヶ月のほんの4ヶ月間に、人間は「マインド」「自我」を獲得する事をこうして
証明されたのです。
動物と同じ行動止まりだった幼児が、「マインド」「自我」を獲得し正常な人として成立した瞬間です。






一方「マインド」「自我」を獲得せず成長した人間が存在します。「マインド」「自我」を
持たない18ヶ月以前の幼児のまま成長したと言う事です。
その状態の人の事を「自閉症スペクトル」自閉症者と呼びます。
つまりサイモン・バロン=コーエンが「マインドブラインドネス」の理論で証明した人の事です。






ですから、正確な診断には22ヶ月以降になるまで待つ必要があるのです。

また非常に知能が高くこの指標をすり抜けた場合でも、その後の指標、例えば「サリーとアン」の課題
であったり、その他の判定基準とする課題があり必ずいつかどこかの時点で判定がつきます。






自閉症とは「マインド」を獲得出来ない事、つまり「マインドブラインドネス」である事。
「マインドブラインドネスの人、この人の事を自閉症と言う」と言う事なのです。






さらに分かり易く言うと、どんなに知能が高くてもマインドに於いては
「動物と同じレベル」と言う事なのです。






医師が知能の高い自閉症児を診察し、判断出来ず「グレーゾーン」とする事があったとしても、
自閉症の「グレーゾーン」は存在しません






「マインド」があるか無いか。「マインドブラインドネス」であるかどうかだけなのです。



理解出来ない人はコメントをどうぞ




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英国と日本の違い [私の話(生育歴)]

自閉症について昭和43年1968年当時から全く状況が変わらない日本と比べ、英語圏、
特に英国では地道な研究が徐々に進み、1989年ウイング達の論文で結実しました。
出典が見つからないのですが、
その後ウイングは英国医学界から表彰され、勲章ももらったと聞きました。




自閉症の娘を持ったウイングは、娘の成長を見ながら、その理論的裏付け、
子供の成長に対して何が有効かを実証していました。

奇しくもその娘さんは、私の前年、妻と同じ1956年生まれ。私か妻どちらかと同学年です。




前回はウイングの記述「正常との境」を引用しました。
その中にある部分をもう一度引用します。


下記引用----------
     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、
     自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。
     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用-----------



英国では1960年以前から自閉症の研究が進み、疫学調査も進んでいました。
ですから、研究対象となった子供達は大人に近づき、相互に連絡を取りあうような
グループが出来上がったのでしょう。

その様なグループの中で、自分たちのアイデンティティーを確認しあえたとは羨ましい限りです。
そんな中から、ドナウイリアムズであり、テンプルグランディンが著作という形で
表現手段を得たことを此所では取り上げています。

彼女たち以外にも、エリーの日常が母親によって書き表されました。
IMGP6235.JPG
この写真は、初版の古い表紙のエリーとその後再版された「エリーの記録」です。
私は微妙に視線をズラしている古い写真の方が自閉症児らしくて好きです。




話が少しズレましたが、
引用の中に英国では知能の高い自閉症だが診断を受けていない当事者グループが存在して、
相互に連絡を取りあっていた様です。
それもこれも、長い研究の結果があってこその当事者会です。




日本では、ようやく1998年11月にウイングの「自閉症スペクトル」が出版されましたが、
突然1999年には愛知県を中心に、「自称知能の高い自閉症当事者の会」が出来上がっていました。
今も愛知、埼玉等にある様です。




英国の様に数少ない「話せる自閉症」が語り合う場であったなら、私もどれ程幸せだったでしょう。
しかし、日本の当事者の会は「ニセ自閉症ニキリンコ」を中心とした当事者会で、
私のメンタリティと真逆の世界
「つらく哀しい」が分からなければいけない、
概念が理解できなければ認められない場所でした。
その歴史は脈々と続き、今でも自称自閉症の当事者は「つらく哀しい」を理解し、
生きづらい」人生を送る人達の集いの場。私たち夫婦の居場所はありません。
1968年当時と2018年の今と、自閉症を取り巻く環境はさほど変わっていないのです。




結果から言えば、そこで「ニセモノ」のレッテルを貼られ、徹底的に打ちのめされたからこそ、
わざわざ児童精神科へ行き、アスペルガー症候群の診断を受け、さらに抗うつ剤を処方されました。




今思えば、ウイングが言うとおり、何の問題も抱えていないと考えていた私は
「助けを求めていた」のであって、内山先生に助けてもらいました。

あの時、内山登紀夫先生、吉田友子先生に会っていなければ、今頃はとっくに死んでいました。




私は辻井正次名誉毀損で訴えられ、スラップ訴訟も仕掛けられました。
同じ自閉症に関する仕事をする内山先生、吉田先生、よこはま発達クリニックにも
少なからず、相当迷惑が掛かったと思います。

許されることではありませんが、今ここで改めてお詫び申し上げます。
迷惑掛けてゴメンね。




でも、私はアスペルガー症候群の当事者。妻もアスペルガー症候群の当事者。揃って当事者。
これぐらいとっちらかっているのは分かってたでしょ?



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冬の日差し [見る]

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部屋に差し込む冬の日差しは自然の恵みだ。
誰もがその日差しに癒やされ、実際に遠赤外線効果も認められる。



私も、冬の朝は少しでも太陽の恵みを部屋の中に取り込もうとブラインドを開ける。



すると、妻がすぐブラインドを閉じてしまう。
「なんでブラインド閉めるの?」「だって、まぶしいんだもん」



このやり取りは、結婚して以来延々30年くり返してきた。「なんでかなーー」
58才で失職し、以来就職出来なかったので、
妻の行動を観察していてやっと原因が分かった



「感覚過敏」じゃあ無いよ。
自称自閉症だとここで「私は感覚過敏だったのです」となるんだけど、ココはリアルの場








妻が、冬の日差しが差し込んでいる部屋に入ると、まるで囚われた様に日差しを見つめる。
それも、日が差したところを見るのでは無く、太陽の方向に顔を向け、じっと見ている。



「まぶしいよ。まぶしいよ」
そりゃ、そんなに太陽の方を見上げたらまぶしいよ。まぶしいに決まってるじゃん。
まぶしいどころか、網膜が焼けちゃうよ。



「日が差している時は、反対側を見るとイイよ」
「日が差している時は、背中や腰を向けてごらん。あったかくて気持ちイイよ」



どんなに、代替えの方法を伝えても、絶対納得しない。そりゃそうだ。私も妻も自閉症だ。

結局、ブラインドの角度を調整して、お互い妥協できる様にした。



冬の日差しがまぶしくて許せない妻だが、直射日光の中でも平気で野良仕事をする。
一旦外へ出ると全く日差しのまぶしさは気にしないし気にならない。
これが、自閉症のリアルなんだ。








が冬の日差しをまぶしいと言うのは、どうも「明暗差」にある様だ。
明暗差が強い部屋に入ると、普通は目を守るためにも、無意識に暗い所を見るようにする。
明るい所を見ると目がつぶれちゃうからね。



しかし、妻は自閉症だから、その「明るい部分」に目が引きつけられ
そこから目を離せなくなってしまう
これは「無遠慮な視線」と呼ばれるモノと同じ構造だ。



いくら明るい部分に目が引きつけられたとしても、見続けたら網膜が焼けちゃう。
それを防ぐには、ブラインドを閉めるしかない。
だから、妻は毎朝ブラインドを閉める。私は開ける。そして妻が閉める。こう言う毎日だ。

結局、ブラインドの角度を調整して、お互い妥協できる様にした。






これが、自閉症者と暮らすリアルであり、自閉症児のリアルだ。
「私は感覚過敏で困っています」「私の息子も感覚過敏です」とはならないんだな。
こういう文章を書く人は、ネットライターか、人の話をネタにしている人だろうね。
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夏の日差し [見る]

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高校2年。私はその頃九州福岡の西南学院高校へ行っていた。下宿生活だ。



下宿生活は不便な事が多く、風呂に入るのも順番待ち。下宿人は20人以上いるから、
結局1週間に1度しか風呂に入ってなかった。



その頃も忘れ物王だったし、洗濯が乾かず体操服を用意出来ない時もある。
そんな時、体育祭の全体練習があった。
制服でも良いから体操だけでも参加しろと言う呼びかけで、黒い学生服のまま参加した。




体操を始める段取りで、一部から笑い声が起きた。
1度目が引き金になって、段取りが進んだ中もう一度爆笑が起き、なかなか収まらない。



そこで、体育教師が怒り出した。「静かにしろ!笑うな!制服の上を脱げ!」
体操着の団体の中、黒い制服姿がチラホラ。気になったのだろう。




私はその日、制服の下はラガーシャツ、あか、白、青、黒、巾が5センチぐらいある太巾の
ボーダー柄のラガーシャツを着ていた。




黒い制服を脱いだら、それこそ私だけが目立って目立ってしょうが無い。
それでも始めようとしたら、まだ教師が怒っている。「笑うな!」「上半身裸になれ!」




今度は裸だ。しかし、教師の怒りはまだ収まらない。




「こらー、そこー、笑うな-」ついに怒りが頂点に達し、
体育教師が教壇を飛び降りこちらに向かってきた。
誰も笑ってないのに、皆凍り付く。




ここまで教壇から30mぐらい。ズンズン一直線でこっちへ向かって歩いてくる。
「いつまで笑ってんだ!」




この期に及んで一体ドコのドイツが笑ってるんだろう。それにしても度胸のいい奴だ。
教師はコチラを睨みながら、どんどん近づく。
誰だ、だれだ。笑ってるヤツはダレだ。




私の方をじっと睨みながら来た教師は、私の目前3mぐらいで突然顔色を変え、
余所を向いて、私の横を通り過ぎた。




私の横を2mほど通り過ぎてから「いいか。 笑うなよ」と一言言ってから
きびすを返し教壇に戻り、体操を終え、体育祭の予行演習は終わった。




「アイツ、オレがまぶしくて目をしかめてたら、笑ってるって勘違いしたんじゃ無いかな」
体操が終わり、教室へ帰るすがら同級生に話しかけたが、イエスでもノーでも無かった。




ピーカンの雲一つ無い直射日光の中でも、平気で野良仕事をする妻に比べ、
私は日差しが強い日は、まぶしくってしょうが無い。
サングラスを何本買っても、サングラスを掛けたい時に手元にあった試しが無いから、
サングラスを掛けたくても掛けられない。




だから、晴れた日はいつも目をしかめている。まぶしいからね。
私がまぶしがっている顔は、私が見ても笑っているように見える。




だって、まぶしいんだもん。  

だからって「私は感覚過敏です」とは言わないよ。当事者だから。





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黒い目 茶色い目 [見る]

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むかし自閉症か否か、なんの手掛かりも理論的な裏付けが無かった頃、
「あの子は可愛いから自閉症だ」と言う様な見方を現場でしていた。



一見根拠が無いようだが、私には頷ける所がある。
それは、自閉症の子供のひとみが、真っ黒で大きく開いているのが特徴だからだ。



人が、人に対して好意、興味を抱くと瞳が開くことが知られている。
それを本能的に知る「ヒト」は、ひとみが大きい人を好ましく可愛らしく感じる。

その心理を利用するのがアイドルで、コンタクトを入れたり瞳が大きく見える様にテクニックを尽くす。



ひとみが大きく開いている自閉症。つまり黒い目を持つのは私だ。



一方、妻はひとみが極端に小さく、いつも閉じていて茶色い目を持つ自閉症だ。



共通するのは、ひとみの開き方が正常では無い事。

わたしのひとみは、普通より開きすぎていて、妻のひとみは普通より閉じすぎている。
これは、脳からの制御がうまく出来ていない証拠でもある。



茶色い目を持つ妻は、部屋の中でもまぶしいまぶしいをくり返すくせに、
カンカン照りの屋外で帽子も被らず平気で仕事を続けることが出来る。



黒い目を持つ私は、薄暗い部屋でもほとんど暗いと感じることは無いが、
外へ出ると、まぶしくってしょうが無い



これ程、両極端に居ながら、同じ自閉症。
同じ自閉症だからこそ、どちらも両極端なのか。



この事を、評論家、学者が「感覚過敏」と総称するのはあるだろう。



だからといって、「私は自閉症だから感覚過敏なのです」とは絶対ならない!



何故なら、それらは自分の事であって、あたかも他人が見たような表現はしないし、
出来ないからなのだ。

「感覚過敏」は概念であり、自閉症は概念を理解出来ない
さらに、マインドブラインドネスなんだから、あたかも外から自分を見るような表現
できないのである。



それが出来ると言う事は、自閉症、自閉症スペクトルでは無いと言う証明なのだ。



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茶色い目 [見る]

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自閉症で茶色い目の子供の記述は見たことが無い。
ただ、診断済みの子供が集まる会で、やはり茶色い目の女の子を見たことがある。



私の妻は茶色い目を持つ。これは光彩がいつも小さいので、目が茶色との印象が強いのだ。



光彩が小さいだけでは無い。
こどもが身近な実験とするのが、光彩の開閉。暗い所へ行くと光彩が開くし、光をあてると縮まる。
最も身近で誰もが体験できる実験だ。
その中で、片目を手で覆うという実験がある。


人間が目を開いた状態で、片目だけ手で覆うと、反射神経でもう一つの目の光彩も開くという実験。
これも、どんなこどもでも1度はやってみたことがあるだろう。




ところが、妻は両目を開けたまま、片目を覆ってもさほど光彩が開かない。
ほとんどと言っていいくらい変化が起きないのだ。

専門医の判断が必要なのだが、目の身体障害に含まれるのだろうか。
それとも、視神経の反射の問題か。それとも脳内の反射能力の障害なのか。

何れにしても、誰もが反応する光彩の変化が、妻には殆ど起きない。




私たち夫婦は自閉症として同じカテゴリーに居ながら、その状態の表出の仕方は両極端にある。
だからこそ、毎日が発見で面白いのだが、その自閉症の両極端の表出は、同一人物上では存在しない。



つまり、黒い目の特徴を持つ私が、時として茶色い目の特徴を持つことはあり得ない。
黒い目であれば一生黒い目の自閉症であり、茶色い目の自閉症の妻は一生茶色い目のままだ。



以前、同じ室内で目玉をふたりで見比べた事があるが、その時の差をザックリ数値化してみる。



私の一番大きなひとみの直径4ミリぐらい。
妻の一番小さなひとみの直径1ミリぐらい。

同じ室内で大きくなったり小さくなったりの最大値の差。



もし、これが本当に数値化出来たなら、光彩の面積は半径の二乗に比例するから、
妻は私の1/16の情報量、両目で1/256の情報量しか取り込めない事になる。



そうなると、頷けることがある。
妻は、全く人の顔を覚えることが出来ないのだ。
だから、それ以外にバッグの色や髪の毛の長さも憶えそれらを手掛かりに顔を思い出すが、
ずっと相づちをうち、話が終わっても「あの人誰だっけ」と言う事がある。



一方黒い目の私は、嫌になる程顔を覚えてしまって、全く無関係の滅多に行かないスーパーの
パートのおばさんの顔まで覚えてしまう。




「自閉症児は視覚優先。だからこうすれば良いのです」
と、療育関係者はドコかの論文や書籍の聞きかじりで、勝手な方式を作り出すが、
その自閉症児自体、これほど違うことを、関係者の誰が知っているだろう。

あなたの子供を預けるのは、本当に信頼の出来る場所ですか?



自殺未遂に追い込まれた自閉症のこどもが現実に居るのです。忘れないで下さい。
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