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自閉症のサンプルとして [私の話(生育歴)]

自閉症の話をする時、最も重要なのがサンプルをどうするかと言う事だ。



ニキリンコや、泉流星の様な、「普通人」が書面から得た知識で自閉症を装った自閉症像
自閉症の気持ち」は、あくまで「普通人が思いつく自閉症の気持ち」であり、
それは、今まで何十年も自閉症に関わった人たちが、ああだろうか、こうだろうかと
悩んだ事と何ら変わらず、何一つ自閉症に迫るモノでは無い。



つまり、誰でも思いつく思いつき」でしか無いと言う事だ。



私たちは、平成30年12月1日(金)現在、共に60才を過ぎた夫婦である。



本当に、奇跡的に巡り会い夫婦となった。
お互い相手の事を「変な人、変わり者」と思いながらも、何故か思考方法、考え方が同じ事から
意気投合結婚し一緒に住み続けている。



私は、父の仕事の関係で、西は福岡博多から北は北海道札幌まで全国各地を転校して歩いた。



ほぼ。2年に一度転校していたので、数多くの同級生と学生生活を送った。
通常、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と多少関係する人数が増えて行くにしても、
延べ人数で言えば、それ程多くの人間と触れ合うモノでは無い事は、自分自身に置き換えれば
分かる事だと思う。



しかし、の場合、小学校は3校、中学は2校、高校も2校、間に中学予備校にも行った。
延べ人数で言えば、一クラス40人として、普通なら、小中高と40×3=120 大学は多めで60
合計180人ぐらいの人と関係性があると見れば良いか。
私の場合は、40×3+40×2+40×2+40+60=380人およそ2倍の生徒を間近で見てきている。



知能が低く養護学校へ通っている自閉症の仲間の事を考えると、
医学的見地から大規模調査をした自閉症の発生率600人にひとり
と言う数字も私の実感と一致する。



その経験から言っても、私の妻の様な変わった人に会った事は無いし、珍しい人であった事は
間違いない。



さらに、男女の自閉症の発生率8対1と言う事を考え合わせると、知能レベルが合い、
さらに自閉症であると言う事を考え合わせると、本当に幸運だったと思う。



私たちは、何とか社会に出て、自分自身を偽り「全く普通の人」として会社で働き、
そこで出会い、結婚し、給料を貰い生活をしていた。




しかし、物事そんな簡単に行かない。
特に私の「普通の人」としての偽り方は尋常では無かったから、直ぐに壊れた



3年で会社を辞め、別会社へ移籍。
しかし、そこも2年辞め、今度は自営業へ。



何とか誤魔化していたが、手持ちの駒であった「鬱病」の姿はどんどん形を見せ始め、
30代後半には殆ど働くに値する様な事もしていない



その間、がずっと家計を支え続けて来た。



ある日「オーちゃん、オーちゃん。ほら、ここ見てごらん」「・・何」
「ほら、ここにオーちゃんソックリな子供の事が書いてあるよ」

それは、ウタ・フリスの書籍の中にある「ちびっこ教授」の記述だった。




「そうだよ。俺は自閉症だって言ってるじゃん。ついでに言うけどひよこだって自閉症だよ」

ひよこと言うのは妻の呼び名だ。



その後、妻の自閉症熱はさらに加速度を増し、何が何でも診断を受けなければならない、
と言う所まで行った。



当時、自閉症の専門医と呼ばれる様な人は居なかったし、専門病院も無かった。
そんな中、子供用の自閉症専門クリニックが開設されたと聞きつけた妻は、無理矢理診察の
了解を取り付け、行く事になった



診察を受けようが受けまい自閉症が自閉症じゃ無くなる訳じゃないから、
鬱真っ盛り、最高潮に達していた私は、全く行く気は無かったが、妻の診察の為
クリニックへ行った。



妻の作戦は功を奏し、妻に付き合って何度か通ったクリニックで、遂に自ら鬱の診察を願い出た



ウタフリスが自閉症児の不思議の一つとして、抗うつ剤が少量で効くと言う特徴を掲げているが、
私もその例に漏れず、抗うつ剤が非常に良く効き、少しづつ生活が改善されてきた。




以来、抗うつ剤は20年飲み続け、お陰でヒトらしい生活を送る事が出来、
鬱の根本の原因である親戚とは完全に縁を切り、過去の連絡体系を一切遮断し、
とある田舎で、完全に夫婦二人だけ孤立した快適な生活を送る事が出来る様になった。



今後、さらに詳しい私たち夫婦のサンプルデータをアップロードしていきます。


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すぐ泣くこども 泣かないこども [私の話(生育歴)]

「ホントにあんたは。ビービー泣いて。
 いつまで泣いてるの!男でしょ!泣き止みなさい!



「カーコみてごらん。カーコ。泣いたってすぐ泣き止んで切り替えるんだから。
 あんたも泣いたら泣いたで、サッサと切り替えなさい!いつまでもグズグズ……」



物心ついた頃には毎日泣いていた私は、泣くと同時に毎日泣くなと叱られてた。



そんな泣き虫の私でも、4才の誕生日以前はあまり自分でも泣いて叱られた記憶が無いし、
実際母も
「あんたはネェ、赤んぼうの頃は毎日毎日、ケラケラ笑ってホントに機嫌のイイ子で、
 全然泣かなかったのに、なんでこんなに泣くようになったんだろうね、マッタクーモー」



以来、声を出して泣く毎日だったが小学5年のある日、泣かずに済むテクニックを身につけてから
泣かなくなった。



時を経て自閉症の知識が増えたおかげで、昔の私の状態が解ってきた。



1.乳幼児から48ヶ月の期間

  この時期は、成長し自我(マインド)を獲得する時期。
  人は18~22ヶ月に自我の獲得を果たすがそれ以前でも、自分自身の体調、感覚もモニター
  している。
  その場合、赤んぼうは泣いて知らせるが、自閉症児は泣いて知らせる事が少ない。
  22ヶ月を過ぎ自我(マインド)を獲得すると、自己を主張し、その主張の手段として泣く
  すでに言葉を獲得している子供はそれに言葉を付け加える事が出来る。

  この時期、泣く事が生命の維持や、自己の満足を得るための手段でありコミュニケーションの
  重要な手段である。



  自閉症の子供は、知能の高低に関わらず、コミュニケーションを求めないからこの時期
  「泣かない本当に育てやすい子」 なのである。



2.4才(48ヶ月)から小学5年生

  カナー型の知能の低い子供はもちろんことばを得ていない。
  一方、知能の高い自閉症アスペルガー症候群は、見かけ上言葉を得ているように見える。
  さかんにテレビを見て言葉を覚え、その表面上の意味は理解している。



  しかし、日常の生活に於いて「自分の気持ち」(マインド)それも相手に分からせる
  適切な「単語、言葉」(コミュニケーション)がとっさに出ない


  だから、泣いて主張するしか手段が無い。
  真の意味での言葉を持たないから「泣く」しか手立てが無いのである。



3.知能が高いに関わらずコミュニケーションの障害

  2.の第一次反抗期に差し掛かった時点、さらに感想文と言う授業でさらに露わになる。
  感想文とは、自身の中に芽生えた感想と文章に変えると言う事。
  自我・マインド・自分の「気持ち」が分からなければ書けない文章なのだ。

  マインドブラインドネス
   =自分の感じた事をまとめて表す事が出来ない
   =自分の感じた事が分からない
   =感想文が書けない



  この頃人は激しく成長しコミュニケーションをはぐくみ、一方自閉症はその障害ゆえに、
  単独の特徴、或いは特異な行動が顕著になってくる。

  私は、この頃の子供達のケアが一番重要だと考えるし、そこで「療育商売」につけ込まれると
  子供は壊れてしまうと考えている。




4.泣かない大人
  4才の頃から毎日毎日「泣くな」「泣くな」と泣く事がいけない事だと仕込まれた私はついに
  小学5年のある日、泣かずに済むテクニックを獲得した。

  以来、このテクニックを使い続け泣かなくなった。  




  するとどうだ。
  大学に入学後のある日、
  あれ程人に向かって「泣くな」「泣くな」と厳しく躾続けた母が、

  「お前はそんな!能面みたないな顔をして!」と怒るでは無いか。



  何をいまさら。
  あんな、ちいさなかよわいこどもなのに、あんなに激しく泣くなと躾けておいて。


  感情を捨てろと言ったのはアンタだ。

  そんな、思いつきで、自分の感情のままに躾けて、何でも自分の思い通りになると考える方が
  おかしい。



  私は、アナタの言うとおり泣くのをやめたし、やめられた。

  そして、同時に感情も捨てたんだ



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英国と日本の違い [私の話(生育歴)]

自閉症について昭和43年1968年当時から全く状況が変わらない日本と比べ、英語圏、
特に英国では地道な研究が徐々に進み、1989年フリス達の論文で結実しました。
出典が見つからないのですが、
その後フリスは英国医学界から表彰され、勲章ももらったと聞きました。




フリスもその著書で何度も謝辞を述べているのが、ローナ・ウイングです。
何故なら自閉症の娘を持ったウイングは、娘の成長を見ながら、その理論的裏付け、
子供の成長に対して何が有効かを実証していましたから、
フリスにとっても理論の検証の助けとなった事でしょう。

奇しくもその娘さんは、私の前年、妻と同じ1956年生まれ。私か妻どちらかと同学年です。




前回はウイングの記述「正常との境」を引用しました。
その中にある部分をもう一度引用します。


下記引用----------
     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、
     自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。
     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用-----------



英国では1960年以前から自閉症の研究が進み、疫学調査も進んでいました。
ですから、研究対象となった子供達は大人に近づき、相互に連絡を取りあうような
グループが出来上がったのでしょう。

その様なグループの中で、自分たちのアイデンティティーを確認しあえたとは羨ましい限りです。
そんな中から、ドナウイリアムズであり、テンプルグランディンが著作という形で
表現手段を得たことを此所では取り上げています。

彼女たち以外にも、エリーの日常が母親によって書き表されました。
IMGP6235.JPG
この写真は、初版の古い表紙のエリーとその後再版された「エリーの記録」です。
私は微妙に視線をズラしている古い写真の方が自閉症児らしくて好きです。




話が少しズレましたが、
引用の中に英国では知能の高い自閉症だが診断を受けていない当事者グループが存在して、
相互に連絡を取りあっていた様です。
それもこれも、長い研究の結果があってこその当事者会です。




日本では、ようやく1998年11月にウイングの「自閉症スペクトル」が出版されましたが、
突然1999年には愛知県を中心に、「自称知能の高い自閉症当事者の会」が出来上がっていました。
今も愛知、埼玉等にある様です。




英国の様に数少ない「話せる自閉症」が語り合う場であったなら、私もどれ程幸せだったでしょう。
しかし、日本の当事者の会は「ニセ自閉症ニキリンコ」を中心とした当事者会で、
私のメンタリティと真逆の世界
「つらく哀しい」が分からなければいけない、
概念が理解できなければ認められない場所でした。
その歴史は脈々と続き、今でも自称自閉症の当事者は「つらく哀しい」を理解し、
生きづらい」人生を送る人達の集いの場。私たち夫婦の居場所はありません。
1968年当時と2018年の今と、自閉症を取り巻く環境はさほど変わっていないのです。




結果から言えば、そこで「ニセモノ」のレッテルを貼られ、徹底的に打ちのめされたからこそ、
わざわざ児童精神科へ行き、アスペルガー症候群の診断を受け、さらに抗うつ剤を処方されました。




今思えば、ウイングが言うとおり、何の問題も抱えていないと考えていた私は
「助けを求めていた」のであって、内山先生に助けてもらいました。

あの時、内山登紀夫先生、吉田友子先生に会っていなければ、今頃はとっくに死んでいました。




私は辻井正次名誉毀損で訴えられ、スラップ訴訟も仕掛けられました。
同じ自閉症に関する仕事をする内山先生、吉田先生、よこはま発達クリニックにも
少なからず、相当迷惑が掛かったと思います。

許されることではありませんが、今ここで改めてお詫び申し上げます。
迷惑掛けてゴメンね。




でも、私はアスペルガー症候群の当事者。妻もアスペルガー症候群の当事者。揃って当事者。
これぐらいとっちらかっているのは分かってたでしょ?
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英国と日本の違い [私の話(生育歴)]

自閉症について昭和43年1968年当時から全く状況が変わらない日本と比べ、英語圏、
特に英国では地道な研究が徐々に進み、1989年フリス達の論文で結実しました。
出典が見つからないのですが、
その後フリスは英国医学界から表彰され、勲章ももらったと聞きました。




フリスもその著書で何度も謝辞を述べているのが、ローナ・ウイングです。
何故なら自閉症の娘を持ったウイングは、娘の成長を見ながら、その理論的裏付け、
子供の成長に対して何が有効かを実証していましたから、
フリスにとっても理論の検証の助けとなった事でしょう。

奇しくもその娘さんは、私の前年、妻と同じ1956年生まれ。私か妻どちらかと同学年です。




前回はウイングの記述「正常との境」を引用しました。
その中にある部分をもう一度引用します。


下記引用----------
     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、
     自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。
     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用-----------



英国では1960年以前から自閉症の研究が進み、疫学調査も進んでいました。
ですから、研究対象となった子供達は大人に近づき、相互に連絡を取りあうような
グループが出来上がったのでしょう。

その様なグループの中で、自分たちのアイデンティティーを確認しあえたとは羨ましい限りです。
そんな中から、ドナウイリアムズであり、テンプルグランディンが著作という形で
表現手段を得たことを此所では取り上げています。

彼女たち以外にも、エリーの日常が母親によって書き表されました。
IMGP6235.JPG
この写真は、初版の古い表紙のエリーとその後再版された「エリーの記録」です。
私は微妙に視線をズラしている古い写真の方が自閉症児らしくて好きです。




話が少しズレましたが、
引用の中に英国では知能の高い自閉症だが診断を受けていない当事者グループが存在して、
相互に連絡を取りあっていた様です。
それもこれも、長い研究の結果があってこその当事者会です。




日本では、ようやく1998年11月にウイングの「自閉症スペクトル」が出版されましたが、
突然1999年には愛知県を中心に、「自称知能の高い自閉症当事者の会」が出来上がっていました。
今も愛知、埼玉等にある様です。




英国の様に数少ない「話せる自閉症」が語り合う場であったなら、私もどれ程幸せだったでしょう。
しかし、日本の当事者の会は「ニセ自閉症ニキリンコ」を中心とした当事者会で、
私のメンタリティと真逆の世界
「つらく哀しい」が分からなければいけない、
概念が理解できなければ認められない場所でした。
その歴史は脈々と続き、今でも自称自閉症の当事者は「つらく哀しい」を理解し、
生きづらい」人生を送る人達の集いの場。私たち夫婦の居場所はありません。
1968年当時と2018年の今と、自閉症を取り巻く環境はさほど変わっていないのです。




結果から言えば、そこで「ニセモノ」のレッテルを貼られ、徹底的に打ちのめされたからこそ、
わざわざ児童精神科へ行き、アスペルガー症候群の診断を受け、さらに抗うつ剤を処方されました。




今思えば、ウイングが言うとおり、何の問題も抱えていないと考えていた私は
「助けを求めていた」のであって、内山先生に助けてもらいました。

あの時、内山登紀夫先生、吉田友子先生に会っていなければ、今頃はとっくに死んでいました。




私は辻井正次名誉毀損で訴えられ、スラップ訴訟も仕掛けられました。
同じ自閉症に関する仕事をする内山先生、吉田先生、よこはま発達クリニックにも
少なからず、相当迷惑が掛かったと思います。

許されることではありませんが、今ここで改めてお詫び申し上げます。
迷惑掛けてゴメンね。




でも、私はアスペルガー症候群の当事者。妻もアスペルガー症候群の当事者。揃って当事者。
これぐらいとっちらかっているのは分かってたでしょ?
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