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2002年自閉症カンファレンス 11分科会 本人(抄録) 1 [2002年自閉症カンファレンス  抄録]

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彼女が会社を止(や)めるとき


山岸 徹(アスペルガー症候群の夫)     産業用設備機械、装置設計開発 自営 45才(当時)


私達は奇跡的な確率で巡り会った、共にアスペルガー症候群の夫婦だ。
(受診時に受けたWAIS-Rでは、妻がiq129私がiq115)

自分達の事なので日頃から自閉症について考えている。
最近最も気に入っているのが、自閉症が第一義にあり、それぞれに合併症があるという考え方だ。

この考え方によると、私は自閉症と鬱病の合併、妻は自閉症と脅迫性障害の合併である。



知能の遅れのみある場合には、遅れた知能を補填する手法をマスターすれば良い。

しかし、自閉症であれば通常の知能の補填手法だけではなく、
さらにコミニュケーションの質についても補填する手法を身に付けなければならない。
この二つのハードルを越えなければ就業は難しいし、実際私達の最重要課題も就業(収入)である。


当時私達は自覚も無く、ごく普通の社会人として就業し続け、年間最高130万もの税金を
国や自治体に払い続けた挙げ句、会社員としては2人共破綻した。



彼女は東京YMCA英語学校英語科を卒業後ステップアップを目指し2社を転職、
3社目で私と知り合い結婚した。

私と彼女とが会社のグチを言い合うと、大体

「結局あいつら価値観が違うんだよ。ホント変わってるよなあ」という話に落ち着く。 

実はその価値観が今迄で一番私と近かったのが彼女だった。



会社は仕事をする場であり、実質給与の3倍の貢献が無ければ会社としてはペイしない、
というのが私達共通の認識であり、その通り一生懸命働いた。

結婚式の前日も、お互い別々のフロアで午後11まで残業、他に残業している人など居なかった。



結婚後は夫婦何れかが退社すべきという雰囲気の中にあり、彼女は転職。
さらにもう一度転職して十年後、定年退職まで働きたいと希望していた彼女は、
突然会社員であり続ける事を止(や)めたのだ。



続く・・・



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2002年自閉症カンファレンス 11分科会 本人(抄録) 1-2 [2002年自閉症カンファレンス  抄録]

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彼女が会社を止(や)めるとき その2


山岸 徹(アスペルガー症候群の夫)     産業用設備機械、装置設計開発 自営 45才(当時)



そこは15人程の電子部品輸出商社。



主力商品の液晶パネルは当時日本オリジナルの技術で、日本からの出荷がほとんど。

仕事は忙しく帰宅するのは毎日夜11時、毎週土日は泥のように眠り続けた。
会社が新橋から蒲田に移転したときも、彼女の通勤時間短縮の為に転居もした。

彼女の勤務ぶりは真面目そのものだ。遅刻欠勤は皆無、有給休暇も体調を崩したときに使うだけ。
取り扱う商品は少量他品種。毎回毎回受注生産で、商品手配等二度と同じ作業が無いため、
臨機応変に対応しなければならない。

今になれば最も苦手な作業と分かるが、当時は必死にこなす毎日。
このようにくそ真面目なおかげで、入社1年でアシスタントマネージャーに昇進した。




風向きが変わり始めたのはこの頃からだ。「新人は山岸にまかせろ」と新人を数ヶ月毎にあてがわれ、おかげで自分の仕事をしながら、貿易の経験のない素人に教える毎日。仏の山岸と呼ばれた。

自分の事も順序立てて説明出来ないのに、まして人に筋道立てて教えるなど至難の業。
ただでさえ残業が多いのに、アシスタントがつきさらに残業が増えた。

それも慣れれば楽になると、ようやく仕事のイロハを教え独り立ちしたところで今度は組織改編、
他部門に横取りされる。あるいは退職。

「経験不問」で新規入社を募り、アシスタントはまた新人。
砂に水を撒くような仕事が5年程続き自前の教育マニュアルだけが充実した。



信用金庫を辞めて来た子が配属になった。おとなしく、仕事ぶりに真面目さが出ていた。
ところが突然欠勤をし辞めると言い出した。
強引に呼び出し脅し半分で聞き出すと、苛められていると言う。


辞める、辞めないに関わらず苛めがあるような職場は許せない。
詳細を聞き出し、社長に現状を包み隠さず報告、個人名は口止めすることを念押しした上で
職場への配慮を促した。

ところが、社長は約束を破り苛めの首謀者の氏名を発表。本人に問い質すが認める訳が無い。
結局社内に苛めなど無く、新人の妄想ということになり、苛められた方は欠勤のまま退社した。



小さいが自由。自由だが仕事はする、という社風から、社員が30人程に膨張し、自由でだらしなく、
要領の良い人間だけが得をする社風となりつつあることを示す出来事になった。

今思えばちょうどバブルの真ん中で、社員も得体の知れない履歴の人間が集まっていた。



コピー用紙ひとつとっても、彼女が使おうとすると故障か用紙切れだ。
毎回用紙の補充、コピー屋への連絡をしているうちに、やっとカラクリに気がついた。
他の人間は知っていても放置しておくのだ。

業を煮やし、文房具は最後の1個になった時点で、それに気がついた人が発注すると決めた。

しかし、誰ひとり守らず結局文房具は彼女が頼むのだ。彼女が文房具屋に連絡をしていると、
あれもこれもと他の文房具の依頼が来る。「私は総務じゃない。総務の人に頼んでくれ」
何度言っても、心が狭いだの面倒がるだの言われるばかりで、結局仕事が増えるのだ。



「異例の抜擢でアシスタントマネージャーになった」
その頃にこんな噂が飛び交っていたことも後から知った。彼女が入社当時は未だ人員も少なく、
アシスタントマネージャーの該当者と言えば彼女しか居なかったのだ。

噂とはいえ、何故そんな話がまことしやかに話され、それを否定もされないとはどういうことだろう。



今度は、海外出張の話が来た。これこそ超異例。
しかし内容は、韓国の商社が支払わない未収金1000万円を何が何でも取り立てて来いと言うのだ。

本来なら、当時の担当者。或いはエリアの統括部長。或いは経理の責任者。或いは凄味の効く人間。
まともに回収を考える商社ならば考える担当すべき人物は除かれ彼女に回ってきた。

結局これもやむを得ず行ったが、男尊女卑が強い韓国で回収など出来る訳無いし、事実無理だった。
それについて社内でどんな評価を下されたかも分からない。


次は経理でもないのに、過去6年にさかのぼり、不明金3000万円の追跡を命ぜられた。
この時は本当に困り果て、見かねて私が様子を聞くと、家に資料を持ってくるので見てくれと言う。

結局、各伝票の性格を2人で分析、私はフローチャートの考え方作り方を容赦なく教え、
彼女は泣きながら各伝票間の関係をフローチャート化し、数字上の矛盾を無くすような事前準備を
1ヶ月以上かけて作り上げた。

フローを元に追跡すること3年、ついに最後の1円迄追跡しきった。
(しかし、このくらいはやって当然と言われた)




香港で開かれたボードミーティングに於いて、英国本社から日本支社の財務を含めた内容について
つるし上げられていると社長からSOSが入った。

これについての意見を問われ、不明金の追跡データを始め、過去にストアしたデータより、
即日日本に責任無しとの反論レポートを提出したところ、
英国、米国、アジア諸国は沈黙。日本一社の悪玉説は消えたようだ。

この時は、少しは感謝されたようだが、話はこれで済まなかった。



後日、レポートの精度を認めた英国から、別の資料の問い合わせが彼女に直接来た。

解析した資料は、日本側の怠慢を表したものだったが、グループ会社と言うことで、
正直に英国本社に報告した。会社員としての務めだ。(日本支社長は言わずもがなだと激怒した)




慣れたと思うとまた担当の変更だ。彼女の担当は、だらしない伝票処理の為に
どうにもならなくなった所の火消し役ばかり。今回も同様だ。

仕事もようやく簡素化、効率化出来てきたのに、未だ火消し役が必要になる。



そこで、そのトラブルの原因を探る事にした。

受注、メーカー発注、納期確認、入庫確認、出荷など受発注に関する基本的な作業に於いて
各担当者が同じデーターベース上で、品物の進行状況を把握出来れば良いのだ。  

いちいち相手をよびつけて、大きな声で騒がずとも、受け渡し書類を見れば一目瞭然。
他人に煩わされることもなく作業は流れて行く。
全員が情報を知ることによって、各セクションでダブルチェックが行われる。



しかし、事実は奇なり。

ミーティングで何度決まっても、守らない人間が居る。確認を怠ったり、手順を省いたり。
ひどい場合には、オーダーフォームのチェックボックスを消して新たなフォームを作る人間まで居る。

その主張は「そこまでやる必要は無い」
「会議では決まったけどやらなくて良いと担当外の男の上司が言った」等である。
しかし現実は、そのおかげで毎週トラブルを抱えては皆を巻き込み大騒ぎだ。




失望していた頃、追い打ちを掛けられた。     続く・・





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2002年自閉症カンファレンス 11分科会 本人(抄録) 1-3 [2002年自閉症カンファレンス  抄録]

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彼女が会社を止(や)めるとき その3


山岸 徹(アスペルガー症候群の夫)     産業用設備機械、装置設計開発 自営 45才(当時)




失望していた頃、追い打ちを掛けられた。 「指名解雇」である。



英国本社からの指示と言うが、そのリストを作ったのは日本支社だ。
僅か30人ばかりの社内に不倫カップルが、二組、三組。それ以外にも付いた離れた、
使い込みも居る中での彼女を御指名。

もう一人はセクハラ英国人を嫌っていた同僚。倫理よりもそれ以外の何か「?」が重要なようだ。
むろん、辞めるのに無抵抗では無かったが、結局は退社した。



ここまで来れば、この会社で起きていた事が解るだろう。



彼女は「会社」という組織に失望し、会社員であることを止(や)めた。
会社は学校の延長のようなもので、仕事をし、その報酬を得るところでは無かったのだ。



しばらく抜け殻になりただ時間を過ごしていたが、やがて「人」に疑問を感じ、「人」を研究し、
私達を取り巻く謎を解く鍵を探し始めた。      その結果は出た。





彼らではない。実は私達が変わっていたのだ。(アスペルガー症候群) 



彼女の唯ならぬ探求心が私達に適切な主治医をもたらし、私には抗うつ剤、彼女には抗不安剤が
適切な量処方された。
(自閉症は脳機能薬の感受性が正常な人と異なる。投薬量がとても重要)



私達は人生で最も安定した時期を迎えた。収入は生活を維持するより少ない。
でもなんとかなるだろう。                     そして今、此処に居る。



最後に彼女にこの文章を見せたら「こんなに酷かったっけ」本当に酷かった。もっとかもしれない。
自分の状況は見えないのだ。だから私は自分の事ではなく彼女の事を書くのです。
                




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


当時抗うつ剤を処方して貰い、収入に不安を持ちながらも前向きに考えていた様子が分かる。


45年も掛けてようやく分かった自分達の正体。
これで、少しは心静かに暮らす事が出来るだろう。そう思えたのは本当に一瞬だった。


会社組織、一般社会の中で無駄な努力、不必要な成果の上がらない気遣いから逃れたと思ったら、

「障害者村」「発達障害村」と言う学校や会社と同じ何とも嫌な世界に引き吊り込まれてしまった。
閉鎖的である分、会社よりも恐ろしくより高度な社会性を必要とし、多くの犠牲を払い獲得した
一般的な社会、会社のルール。コミュニケーションが一切通用しない所だったのだ。



そこで、また私のアスペルガー症候群の特性が災いし、そんな平穏な生活を許さない組織の尾を踏んでしまった。

(2018年8月3日 平成30年8月3日(金) 追記)




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自閉症カンファレンス 本人(抄録)2 [2002年自閉症カンファレンス  抄録]

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彼を会社につれてって


山岸 美代子(アスペルガー症候群の本人) 主婦・パート 46才(2002年当時)


三つ子の魂百までもと申します。



私の主人は43才のときアスペルガー症候群の診断を受けました。

当年45才ですが、なるほどことわざ通り、
行動療法もものかは、アスペルガー症候群の本質は三歳児の頃よりまったく変わっておりません。



本日はそのことをお話しようかと思います。



かのドナ・ウィリアムズの元彼は、ドナのサテンのウェディングドレス姿を見て
「きれいだ、すごくきれいだ」と言って涙を流しましたが、
うちの主人(当時26才)の場合はこうです。



「うわぁー、野暮ったい化粧されちゃったねえ、アイシャドーと口紅、まるで昭和三十年代じゃない。
よくそんな古くさい色があったなあ。顔まっ白、首まっ黒。あっ!髪もアップにしてない。
どうして当初の予定通りアップにしてもらわなかったの。


なぬ『アップにすると老けますよ、それでもいいんですね』って美容師に脅かされた?
いいじゃん老けたって。中途半端で似合わないよ。

うちのアネキなんか高輪プリンスで変なメイクされそうになったんで
『やめて下さいっ、自分でやりますっ!』って美容師払いのけて、自前の化粧品でメイクしたんだよ。


そうすればよかったのに。あーあドレスもしわくちゃだし、手抜きもいいとこだな、
いったい何考えてるんだ、ここ」 




如何でしょう。



アスペルガー症候群の知識がある方なら、この花婿発言はテレ隠しでつい、というものでも、
気に染まない結婚をぶち壊してやろうという意図からでもなく、


ひょっとして

「アスペルガー症候群の花婿による実況中継」ではないかと思い当たるのではないでしょうか。




正解です。



この正直過ぎるレポートには物証もあり、人はそれを結婚記念写真と呼びます。





十九年前の九月、あの日あの時を振り返り、アスペルガー症候群の花婿はこう述懐します。


「結婚式だろうとなかろうと、誰が何を着ようが、どんな化粧や髪型しようが、
そんなのオレにとってはどうでもいいことなんだね、全然気にならない。


ただあの化粧には驚いたなあ、何事かと思ったよ。
忙しい中さんざん探し回って、なけなしの予算やりくりしてやっと買ったドレスはしわくちゃに
されるし、そりゃないだろうって思ってさ。


あまりにかわいそうで、つい見たまま思ったままが口から出ちゃったんだよ」




私がさぞがっかりしているだろうと気の毒に思い、慰めるつもりで言ったのだそうです。




さて、毎年夏が来て、ニュースで江ノ島の映像が流れると、決まって主人が、
「あれは一体どういう事だったんだろう・・・」と、不思議そうに語り出すミステリーがあります。




名付けて「江ノ島事件」。



登場人物はたった五名。各人にいちいち年齢(当時)が振ってありますが、
これは書き手の自分がそうだから、読み手もきっと区別し易いだろうという、一方的なサービスです。


誤解のないよう申し上げておくと、私は数字に弱く、自慢ではありませんが算数で1をとったことも
一度ならずあります。




十二年前の夏のことです。


主人(当時33才)が外注として設計したオートメーション設備が、納品から無事一年を経て、
定期メンテナンスの季節を迎えました。

メンテナンスは、夏期休業で守衛さんだけとなった酷暑の工場で、十日間泊まり込みで行われます。

作業に当たるのは主人(当時33才)と、はるばる北国から出張してきた元請けの社員四名で、
この四名と主人とは互いに顔なじみです。



くだんの不可思議な事件はメンテナンスの最終日に起きました。



その日は火曜日で、主人(当時33才)は、ソフトウェア担当のKさん(当時25才)と二人で、
早朝からソフトのチェック作業をしていました。気が付けば昼。

作業をやめると、S工程部長(当時40才)が
この人は今回の作業チームの実質責任者でしたが独り言のように、主人(当時33才)にこ言ったそうです。



「俺たちここにいてもやることないし、江ノ島にでも行ってこようかなあ」



ここでS工程部長(当時40才)が言う「俺たち」というのは、
Kさん(当時25才)を除く出張メンバーを指し、
ひとりはI工場長(当時59才)、もうひとりは0電気係長(当時26才)です。



「ここ」の工場は江ノ島にほど近く、当日は絶好の観光日よりだったそうです。




「江ノ島?いいねえ、行ってきなよ。いい気分転換になるよ。専務(注・登場せず)には黙ってるから
大丈夫。六時までには帰って来てね。その代わり、昼飯にはKさんとふたりで、特上寿司一人前二千五百円、食わせてもらうよ。いいかな?」




主人(当時33才)が言うと、S工程部長(当時40才)は、「ああいいよ。じゃみんな行こうか」
とI工場長(当時59才)、O電気係長(当時26才)を引き連れ、三人で出かけて行ったそうです。



さて午前中の作業も終わり、昼食を済ませてKさん(当時25才)と現場に戻ってくると、
何と、江ノ島に行ったはずのS工程部長(当時40才)たちが、所在なげに現場にいたのです。


「あれえ、どうしたのみんな!江ノ島に行ったんじゃないの?」

主人(当時33才)は驚いて聞きましたが、S工程部長(当時40才)は無言。


「みんなメシ食ったの?」と主人(当時33才)が心配してみんなに聞いて回ると、
「ああ、ラーメン食った」と0電気係長(当時26才)だけが答えます。
「えーっ、オレたちもう寿司食っちゃったよ!今さら金返せないよ」と五千円の領収書(内税)で
宛先は上様(んなこたどうでもいいが)を差し出す主人(当時33才)に、

「・・・・・・・・・」S工程部長(当時40才)は無言。




「ねえ、どうして江ノ島行かなかったの、行きゃあいいのに。なんで、どーして・・・・・」

主人(当時33才)はしつこく、しつこく尋ねます。すると、O電気係長(26才)がそっと近づき、
「やっぱり、まずいんでねえべか、って事になってやめたんだ」と教えてくれたそうです。


続く・・・



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自閉症カンファレンス 本人(抄録)2-2 [2002年自閉症カンファレンス  抄録]

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彼を会社につれてって その2


山岸 美代子(アスペルガー症候群の本人) 主婦・パート 46才(2002年当時)






 今年も主人(45才)恒例の、

「どういうことなんだろう。さっぱり訳がわからない。どうしてSさんたち江ノ島に行かなかったんだ
ろう。まずいって何がまずいんだろう。
第一まずいとわかってて、どうして江ノ島に行くなんて言い出したんだろう。」が始まりました。




私(46才)も恒例の謎解きに入るべく

「そうだ、お寿司屋さんで、Kさんの様子はどうだった?」思い立って今回初めて聞いてみました。



「それが、うまい寿司でさ!そう言えば・・・Kさんあんまり食欲ないみたいで、
『いいんだべか、あんな事していいんだべか』って言い続けてたな。


だからオレ、誰が?何が?どうして?江ノ島のこと?いいじゃん。
ずっと休みなしだったんだから、たまにリフレッシュするのも悪くないよ。
Kさんだけ行けなくて悪かったね、

って言ったんだけど、Kさんくら~い顔でうつむいて

『いいんだべか、あの人たちあんな事していいんだべか』って言い続けてたな。」




本年度の私の推理


 被害者S工程部長(当時40才)にはかねてより屈託があった。

なぜ経営者のM専務(登場せず)は、ヒエラルキー無視の小生意気な外注Y(当時33才)を重用
するのか?そもそもなぜこのように手間が掛かるだけで儲からない巨大設備を受注したのか?


元はと言えば外注Y(当時33才)が、新しもん好きのM専務(登場せず)の設計依頼を、
外注の気楽さから何の考えもなく引き受けたせいではないか?


しかも腹立たしい事に、外注Y(当時33才)は工程部長たる自分に敬意を示さず、
かつ無口で何を考えているのかわからない自分の部下K(当時25才ヒラ)をよく手なずけている。


しかしこれらの不満は、M専務(登場せず)の手前、面と向かって発せられる事はなかった。
酷暑の事件当日、折しも世間は休日、工場前の道路はガラガラだった。



外注Y(当時33才)に、どうでもよいと思われるチェック作業を宛われたS工程部長(40才)は、
出張最終日の安堵感も手伝い、ふと思いついて、就業中にも関わらず「江ノ島行き」をほのめかした。



彼の目論見では、このほのめかしにより、外注Y(当時33才)が、
普段のS工程部長(当時40才)には似つかわしくない「江ノ島行き」の申し出や、
投げやり若しくは尋常ならざる口調といったものから、すぐに異状を察知、
S工程部長(当時40才)の不満に(ハッ)と気づき、おのずと上下関係を再認識、
不適切な態度を改め、謝罪するものと思った。



ところが、外注Y(当時33才)はハッと気づいて謝罪するどころか、字義通りに受け取り、
事もあろうにS工程部長(当時40才)に向かって「行ってきなよ」などとタメ口で承諾、

さらにS工程部長(当時40才)の部下K(当時25才ヒラ)を抱き込み、
2人分の特上寿司@二千五百円也を昼食代に要求したが、これは経営者であるM専務(登場せず)
に対する口止め料かと思われ、ついに断り損ねた。


S工程部長(当時40才)が承諾するや、外注Y(当時33才)は勝ち誇ったかのように
「いってらっしゃーい」と手を振った。



これら一連の行為は、S工程部長(当時40才)の戦略

すなわち、
外注Y(当時33才)が当然するであろう「江ノ島行き」に対する子供っぽい抗議に対し、

年長者らに対して当然とるべき礼儀の欠如を指摘する、といった形でのカウンター攻撃に移行するを
踏みにじるものであった。



混乱し、引っ込みが付かなくなったS工程部長(当時40才)には、出かけるフリをする以外、
選択の余地がなかった。

もともと本気で行く気はなかった上、土地勘のないS工程部長(当時40才)は、車中、
同行のI工場長(当時59才)、同じくO電気係長(当時26才)らになだめられ、
また時分時でもあった為、近所の寂れたラーメン店にて、一杯二百五十円也のラーメンをすすり込んだが、その不味さと言ったらなかった。



その後現場に引き返して来たが、折しも寿司店より戻ったばかりの外注Y(当時33才)に発見され、
しつこく理由を尋ねられる。


さらに追い打ちをかけるように、外注Y(当時33才)の差し出す寿司店の領収書を見て、
その金額が、奇しくもラーメンの十倍に相当するを発見するや、自ら許可した事とはいえ、
外注Y(当時33才)の計算高さを見せつけられる思いで、くやしさ情けなさに沈黙するしかなかった。



このときS工程部長(当時40才)の胸の内を察したO電気係長(当時26才)は、前後の事情に鑑み、
ここは自分の出番だと判断、割って入って、外注Y(当時33才)に

「やっぱりまずいんでねえべかって事になってやめたんだ」と耳打ち、

よくある日常の一駒とすることで、S工程部長(当時40才)をかばった。



外注Y(当時33才)は、それ以上の追求をせず、納得したように見えた。

が、しかし・・・・・・その十二年後、




「・・・・・・オレ、ほんとうにみんなが江ノ島に行ってリフレッシュしてくればいいと思ったんだよ。」と主人はしょんぼりしてしまいました。



「あの日Sさんたち三人にやってもらってた仕事は、オレとKさんがやってたソフトのチェック作業の
立ち会いで、それってラインの側に適宜立っててもらって、

Kさんがソフトを動かして、何か不都合が起きたときに、機械の問題箇所にダッシュしてって
異状を報告してもらう大事な仕事だから、Sさんが言ったように
『俺たちここにいてもすることないから』なんて事全然なかったよ。


でもまあ暑いし、退屈だし、疲れるし、やりがいはないよな。


幸いKさんは若くて元気だし、例え守備人数が減っても、Kさんとふたりで手分けして駆け回れば
何とかなると踏んだから、OKしたんだ。



オレだって行きたかったよ江ノ島。
だからみんながオレやKさんに気兼ねなく行けるように、特上寿司とトレードしたんだ。


それなら公平な取引だろ。オレって子供のときからこういう事するから嫌われるんだなあ。

相手が期待するリアクションを、ことごとく裏切るようなリアクションするから憎しみを買うんだ。



そうか、そんなに嫌われてたなんて知らなかったよ。それなら無理してあんな大変な仕事
引き受けなきゃよかったよ。



はっきり『おまえがいると迷惑だ』って言ってくれればよかったのに。
そしたらもっと早く手を引いてたのに・・・そしたら」

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続く・・



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