学校の怪談
その参 ゴーゴンの呪い

中一の二学期の中間試験(応用が利かない)
試験官は担任の美術教師だった。
夏休み明けの席替えで、あみだくじにはずれた私の席は、教壇の真ん前である。
やがて目の前に人数分のプリントの束が置かれ、一枚取って後ろへと回す。
「えーっと、まだ早いので用紙は伏せておいて下さい」言いつつ教師が教壇に戻る。

私はプリントを裏返し、手を膝に置き、「始めっ」の合図を待つ。
合図を見逃すまいと美術教師の顔をじっと伺う。
向こうもこちらを見ているが、何の表情もない。
この美術教師は入学式直後のホームルームで、
黒板の上に飾ってある「根性」の額を見て鬼瓦のような顔になり
「俺は根性という言葉が大嫌いだ。はずせっ!」と生徒に命令した教師である。
そんな教師が至近距離で無言、無表情でいるのは不気味だ

見つめる、見つめ返す、見つめる、見つめ返す。
その距離1メートル弱。しかしいくら待っても「始め」の合図はない。

注記:
   「目を合わせないから発達障害」これは一時期大いに宣伝された事で、これを根拠に発達障害が
   爆発的に増殖した。
   どうも、統合失調症の患者グループが統合失調症を嫌って発達障害にすり替えよう、
   統合失調症という呼び名を消し去ろう、とした様だ。
   同時に、幻聴が聞こえる発達障害、幻覚がある発達障害と言う話まで蔓延していた。
   発達障害なら生まれつきの障害だから良い、統合失調症は自分のせいだから悪いと思うらしい。


   自閉症の特にカナー型の場合、なぜ目を合わせてくれないかと言うと、目を見る必要性を
   感じていないからだ。
   名前を呼ばれても聞こえているんだから目を見る必要はない
   ところが、「カラコロ」というデンデン太鼓の音は、「あれっ?」と気になるから見る。

   自分の名前は聞こえているし、自分の名前と分かり切っているから見る必要はないが、
   デンデン太鼓の音は気になる(不思議)から見るのだ。これ重要。

   ある程度知能が高い自閉症、つまり私の場合、4才と3ヶ月位まではカナー型の子供と同じ態度
   で、名前を呼ばれても一瞬見て「なんだ用は無いんだ」と手元に目を戻す。
   だから、その頃までの写真はレンズを見ていない。

   しかし、成長と共に知識として相手がカメラを持っているときはカメラを見る。と学習する。

   私達自閉症は、知能が低くても高くても根本的根源的本能として目でコミュニケーションを
   取る能力が欠けている。だからこその自閉症なのである。

   ではどうしているか。すべて学習して獲得するしかない。カナー型の子は知能なりに。
   知能が高ければ、そのシチュエーション、相手の口調、相手の顔色(本当の顔の色)
   つまり、真っ青だったり、真っ赤だったり。

   日常生活では、「人の話を聞くときは目を見る」とか色々仕込まれる。

   だから、自閉症の子は目を見ない、は、相手が気付くまで見続けないと言うだけだ。

   さて、カナー型の子は別として、何かと人の目を見なければいけないと強要され続けている
   私達は、常に人の目を見る。(統合失調症になると人の目が怖くなるらしい)

   この人の目を見ると言うのが実はくせモノで、トラブルの原因になる。

   女の子が人の目をじっと見る。日頃人の目を見なさいと言われているから尚更だ。
   じっと見る。相手が男の子なら「俺の事好きなのか」と勘違いする。
   じっと見る。相手が変質者なら「あの子ならてなづけられそうだ」と勘違いする。
   男の子が人の目をじっと見る。相手が女の子なら「○○君××さんの事好きなんだよ」と噂される。
   男の子が人の目をじっと見る。「テメー、誰にガン付けてんだよ」と因縁を付けられる。


   自閉症の子供を持つと「目を合わせてくれない」と言うのが親として先ず悩むらしいが、
   ちゃんと見てるのは間違い無い。ただ、目を移すのがあまりに早くてお母さんが気付かない
   だけだ。

   そして自閉症には、「不適切な視線」という特徴がある事も覚えて貰いたい。
   目を合わせないのが自閉症では無く、見続け過ぎるのも自閉症の大きな特徴なのである。


   じっと見ているのでは無い。相手がじっと見るからいつ目を離すのか見ているだけだ。

   本来「ヒト」と「ヒト」が見合えば、言葉に表れない言語(メタ言語)でなんらかの応答が
   あるのだろうが、
   私達は純粋に「見る」ひたすら見る。何か意味が飛び出して来るまで「見る」しか出来ないのだ。


遅い、遅すぎる!プリントが配られてからかれこれ三十分ではないか。
すると辺りにはまたもやあの不気味な静けさが・・・。
あっ、もしや試験は合図無しで始まっているのか?
ついにたまりかね、隣は櫻井さんで懲りたので、肩越しに後ろの席の子に、
「ねえ、始めていいの」、
「始めていいって・・・何を」試験中に話しかけられ困惑した声。
このやりとりを真っ正面で見ながらも、無言無表情の担任教師。
やはり試験は始まっていた。
きゃぁぁぁぁ、
声にならない叫びとともに私はプリントをっひっくり返し、
がくがくする手で鉛筆の芯をバキバキ折りながら、
何とか答えを書き込もうと無駄な努力をするのだった。
因果は巡る。それから10年の後。
二十一才の私はガラガラの都営バスで、この美術教師と向かい合わせになった。
見つめる、見つめ返す、見つめる、見つめ返す・・・・・・・
都営バスとベンチシートの向こうとこちらで、その距離数メートル。
これぞまさしくゴーゴンの呪い



つづく

【自閉症テレビ9】目を見ないアスペルガー