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お読み下さるみなさまへ

元々は、都通研で行い好評を博したアクティヴィティでした。
例のスラップ訴訟によって中断を余儀なくされていたものを、ここに復活(復刻)します。
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すぐ泣くこども 泣かないこども [私の話(生育歴)]

The Sleeping Gypsy_4500x2934.jpg

「ホントにあんたは。ビービー泣いて。
 いつまで泣いてるの!男でしょ!泣き止みなさい!



「カーコみてごらん。カーコ。泣いたってすぐ泣き止んで切り替えるんだから。
 あんたも泣いたら泣いたで、サッサと切り替えなさい!いつまでもグズグズ……」



物心ついた頃には毎日泣いていた私は、泣くと同時に毎日泣くなと叱られてた。



そんな泣き虫の私でも、4才の誕生日以前はあまり自分でも泣いて叱られた記憶が無いし、
実際母も
「あんたはネェ、赤んぼうの頃は毎日毎日、ケラケラ笑ってホントに機嫌のイイ子で、
 全然泣かなかったのに、なんでこんなに泣くようになったんだろうね、マッタクーモー」



以来、声を出して泣く毎日だったが小学5年のある日、泣かずに済むテクニックを身につけてから
泣かなくなった。



時を経て自閉症の知識が増えたおかげで、昔の私の状態が解ってきた。



1.乳幼児から48ヶ月の期間

  この時期は、成長し自我(マインド)を獲得する時期。
  人は18~22ヶ月に自我の獲得を果たすがそれ以前でも、自分自身の体調、感覚もモニター
  している。
  その場合、赤んぼうは泣いて知らせるが、自閉症児は泣いて知らせる事が少ない。
  22ヶ月を過ぎ自我(マインド)を獲得すると、自己を主張し、その主張の手段として泣く
  すでに言葉を獲得している子供はそれに言葉を付け加える事が出来る。

  この時期、泣く事が生命の維持や、自己の満足を得るための手段でありコミュニケーションの
  重要な手段である。



  自閉症の子供は、知能の高低に関わらず、コミュニケーションを求めないからこの時期
  「泣かない本当に育てやすい子」 なのである。



2.4才(48ヶ月)から小学5年生

  カナー型の知能の低い子供はもちろんことばを得ていない。
  一方、知能の高い自閉症アスペルガー症候群は、見かけ上言葉を得ているように見える。
  さかんにテレビを見て言葉を覚え、その表面上の意味は理解している。



  しかし、日常の生活に於いて「自分の気持ち」(マインド)それも相手に分からせる
  適切な「単語、言葉」(コミュニケーション)がとっさに出ない


  だから、泣いて主張するしか手段が無い。
  真の意味での言葉を持たないから「泣く」しか手立てが無いのである。



3.知能が高いに関わらずコミュニケーションの障害

  2.の第一次反抗期に差し掛かった時点、さらに感想文と言う授業でさらに露わになる。
  感想文とは、自身の中に芽生えた感想と文章に変えると言う事。
  自我・マインド・自分の「気持ち」が分からなければ書けない文章なのだ。

  マインドブラインドネス
   =自分の感じた事をまとめて表す事が出来ない
   =自分の感じた事が分からない
   =感想文が書けない



  この頃人は激しく成長しコミュニケーションをはぐくみ、一方自閉症はその障害ゆえに、
  単独の特徴、或いは特異な行動が顕著になってくる。

  私は、この頃の子供達のケアが一番重要だと考えるし、そこで「療育商売」につけ込まれると
  子供は壊れてしまうと考えている。




4.泣かない大人
  4才の頃から毎日毎日「泣くな」「泣くな」と泣く事がいけない事だと仕込まれた私はついに
  小学5年のある日、泣かずに済むテクニックを獲得した。

  以来、このテクニックを使い続け泣かなくなった。  




  するとどうだ。
  大学に入学後のある日、
  あれ程人に向かって「泣くな」「泣くな」と厳しく躾続けた母が、

  「お前はそんな!能面みたないな顔をして!」と怒るでは無いか。



  何をいまさら。
  あんな、ちいさなかよわいこどもなのに、あんなに激しく泣くなと躾けておいて。


  感情を捨てろと言ったのはアンタだ。

  そんな、思いつきで、自分の感情のままに躾けて、何でも自分の思い通りになると考える方が
  おかしい。



  私は、アナタの言うとおり泣くのをやめたし、やめられた。

  そして、同時に感情も捨てたんだ


つづく

【自閉症テレビ8】天使の歌声


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自閉症のサンプルとして [私の話(生育歴)]

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自閉症の話をする時、最も重要なのがサンプルをどうするかと言う事だ。



ニキリンコや、泉流星の様な、「普通人」が書面から得た知識で自閉症を装った自閉症像
自閉症の気持ち」は、あくまで「普通人が思いつく自閉症の気持ち」であり、
それは、今まで何十年も自閉症に関わった人たちが、ああだろうか、こうだろうかと
悩んだ事と何ら変わらず、何一つ自閉症に迫るモノでは無い。



つまり、誰でも思いつく思いつき」でしか無いと言う事だ。



私たちは、平成30年12月1日(金)現在、共に60才を過ぎた夫婦である。
追記:2023年9月2日(土)現在、共に66才を過ぎた夫婦。



本当に、奇跡的に巡り会い夫婦となった。
お互い相手の事を「変な人、変わり者」と思いながらも、何故か思考方法、考え方が同じ事から
意気投合結婚し一緒に住み続けている。



私は、父の仕事の関係で、西は福岡博多から北は北海道札幌まで全国各地を転校して歩いた。



ほぼ。2年に一度転校していたので、数多くの同級生と学生生活を送った。
通常、幼稚園、小学校、中学、高校、大学と多少関係する人数が増えて行くにしても、
延べ人数で言えば、それ程多くの人間と触れ合うモノでは無い事は、自分自身に置き換えれば
分かる事だと思う。



しかし、の場合、小学校は3校、中学は2校、高校も2校、間に中学予備校にも行った。
延べ人数で言えば、一クラス40人として、普通なら、小中高と40×3=120 大学は多めで60
合計180人ぐらいの人と関係性があると見れば良いか。
私の場合は、40×3+40×2+40×2+40+60=380人およそ2倍の生徒を間近で見てきている。



知能が低く養護学校へ通っている自閉症の仲間の事を考えると、
医学的見地から大規模調査をした自閉症の発生率600人にひとり
と言う数字も私の実感と一致する。



その経験から言っても、私の妻の様な変わった人に会った事は無いし、珍しい人であった事は
間違いない。



さらに、男女の自閉症の発生率8対1と言う事を考え合わせると、知能レベルが合い、
さらに自閉症であると言う事を考え合わせると、本当に幸運だったと思う。



私たちは、何とか社会に出て、自分自身を偽り「全く普通の人」として会社で働き、
そこで出会い、結婚し、給料を貰い生活をしていた。




しかし、物事そんな簡単に行かない。
特に私の「普通の人」としての偽り方は尋常では無かったから、直ぐに壊れた



3年で会社を辞め、別会社へ移籍。
しかし、そこも2年辞め、今度は自営業へ。



何とか誤魔化していたが、手持ちの駒であった「鬱病」の姿はどんどん形を見せ始め、
30代後半には殆ど働くに値する様な事もしていない



その間、がずっと家計を支え続けて来た。



ある日「オーちゃん、オーちゃん。ほら、ここ見てごらん」「・・何」
「ほら、ここにオーちゃんソックリな子供の事が書いてあるよ」

それは、ウタ・フリスの書籍の中にある「ちびっこ教授」の記述だった。




「そうだよ。俺は自閉症だって言ってるじゃん。ついでに言うけどひよこだって自閉症だよ」

ひよこと言うのは妻の呼び名だ。



その後、妻の自閉症熱はさらに加速度を増し、何が何でも診断を受けなければならない、
と言う所まで行った。



当時、自閉症の専門医と呼ばれる様な人は居なかったし、専門病院も無かった。
そんな中、子供用の自閉症専門クリニックが開設されたと聞きつけた妻は、無理矢理診察の
了解を取り付け、行く事になった



診察を受けようが受けまい自閉症が自閉症じゃ無くなる訳じゃないから、
鬱真っ盛り、最高潮に達していた私は、全く行く気は無かったが、妻の診察の為
クリニックへ行った。



妻の作戦は功を奏し、妻に付き合って何度か通ったクリニックで、遂に自ら鬱の診察を願い出た



ウタフリスが自閉症児の不思議の一つとして、抗うつ剤が少量で効くと言う特徴を掲げているが、
私もその例に漏れず、抗うつ剤が非常に良く効き、少しづつ生活が改善されてきた。




以来、抗うつ剤は20年飲み続け、お陰でヒトらしい生活を送る事が出来、
鬱の根本の原因である親戚とは完全に縁を切り、過去の連絡体系を一切遮断し、
とある田舎で、完全に夫婦二人だけ孤立した快適な生活を送る事が出来る様になった。



今後、さらに詳しい私たち夫婦のサンプルデータをアップロードしていきます。



つづく

【自閉症テレビ25】自閉症サンプル


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英国と日本の違い [私の話(生育歴)]

自閉症について昭和43年1968年当時から全く状況が変わらない日本と比べ、英語圏、
特に英国では地道な研究が徐々に進み、1989年ウイング達の論文で結実しました。
出典が見つからないのですが、
その後ウイングは英国医学界から表彰され、勲章ももらったと聞きました。




自閉症の娘を持ったウイングは、娘の成長を見ながら、その理論的裏付け、
子供の成長に対して何が有効かを実証していました。

奇しくもその娘さんは、私の前年、妻と同じ1956年生まれ。私か妻どちらかと同学年です。




前回はウイングの記述「正常との境」を引用しました。
その中にある部分をもう一度引用します。


下記引用----------
     自分が自閉性障害をもつことに気づいており、
     そして相互に連絡を取りあっている非常に能力の高い人のグループは、
     いろいろな刊行物のなかで、
     自分たちの考え方やその世界の経験のしかたは、
     自分たちにとって正当なものであること、そしてたとえ治療が可能だとしても、
     自分たちはそれを望んでいないことを強く主張しています。
     しかし自閉性障害だと気づいている人がすべて、
     必ずしもこのように感じているわけではなく、
     たとえ表面的にうまく対処していても助けを求めています。
     ひとりひとりの感じ方や願望は、尊重すべきです。
上記引用-----------



英国では1960年以前から自閉症の研究が進み、疫学調査も進んでいました。
ですから、研究対象となった子供達は大人に近づき、相互に連絡を取りあうような
グループが出来上がったのでしょう。

その様なグループの中で、自分たちのアイデンティティーを確認しあえたとは羨ましい限りです。
そんな中から、ドナウイリアムズであり、テンプルグランディンが著作という形で
表現手段を得たことを此所では取り上げています。

彼女たち以外にも、エリーの日常が母親によって書き表されました。
IMGP6235.JPG
この写真は、初版の古い表紙のエリーとその後再版された「エリーの記録」です。
私は微妙に視線をズラしている古い写真の方が自閉症児らしくて好きです。




話が少しズレましたが、
引用の中に英国では知能の高い自閉症だが診断を受けていない当事者グループが存在して、
相互に連絡を取りあっていた様です。
それもこれも、長い研究の結果があってこその当事者会です。




日本では、ようやく1998年11月にウイングの「自閉症スペクトル」が出版されましたが、
突然1999年には愛知県を中心に、「自称知能の高い自閉症当事者の会」が出来上がっていました。
今も愛知、埼玉等にある様です。(アスペエルデの会です)




英国の様に数少ない「話せる自閉症」が語り合う場であったなら、私もどれ程幸せだったでしょう。
しかし、日本の当事者の会は「ニセ自閉症の詐欺師ニキリンコ」を中心とした当事者会で、
私のメンタリティと真逆の世界
「つらく哀しい」が分からなければいけない、
概念が理解できなければ認められない場所でした。
その歴史は脈々と続き、今でも自称自閉症の当事者は「つらく哀しい」を理解し、
生きづらい」人生を送る人達の集いの場。私たち夫婦の居場所はありません。
1968年当時と2018年の今と、自閉症を取り巻く環境はさほど変わっていないのです。




結果から言えば、そこで「ニセモノ」のレッテルを貼られ、徹底的に打ちのめされたからこそ、
わざわざ児童精神科へ行き、アスペルガー症候群の診断を受け、さらに抗うつ剤を処方されました。




今思えば、ウイングが言うとおり、何の問題も抱えていないと考えていた私は
「助けを求めていた」のであって、内山先生に助けてもらいました。

あの時、内山登紀夫先生、吉田友子先生に会っていなければ、今頃はとっくに死んでいました。




私は辻井正次名誉毀損で訴えられ、スラップ訴訟も仕掛けられました。
同じ自閉症に関する仕事をする内山先生、吉田先生、よこはま発達クリニックにも
少なからず、相当迷惑が掛かったと思います。

許されることではありませんが、今ここで改めてお詫び申し上げます。
迷惑掛けてゴメンね。




でも、私はアスペルガー症候群の当事者。妻もアスペルガー症候群の当事者。揃って当事者。
これぐらいとっちらかっているのは分かってたでしょ?



【自閉症テレビ11】自閉症専門クリニックの診断法


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勇気ある発言 2009年5月のメールより [はじめに(重要必ず読んでね)]

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私のブログは何度も表示停止措置を受け多くの情報、記事が消えてしまいました。
そんな中昔のデータに過去のブログデータを見つけ読んだ所、
「ひょっとしてこれが消したかったのか」と思うような文章を見つけました。読んで見て下さい。



勇気ある発言     5/19/09   (5月19日2009年 2019年6月2日再録)



 山岸さんのブログが、私の周囲でも話題になっています。


 A君タイプ(注カナー型)の保護者は、ニキさんご本人が講演されていることもそうですが、
有名どころの先生方が皆さん、講演会などで、ニキさんの話を自閉症の代表者として
お話されるので、それらを根拠に「偽者だなんてありえない!」という意見が多いです。


 B君タイプ(注アスペルガー)のお子さんの保護者は、「そう?うちの子はニキさんに似てるよ。
本人も愛読してるし。」とか「他の当事者の○○さんのほうがうちの子には似ている。」
とか「前からうちの子とは違うな~って思ってたんだ。もしかしてうちの子って
アスペじゃないのかな~って悩んだくらい。」などと結構意見がバラけています。




 A君タイプのお子さんの保護者、B君タイプのお子さんの保護者、それぞれに反応は違いますね。
両者の間には「話せていいわね。」⇔「話せても大変なのよ」、
「福祉が充実していていいわね。」⇔「福祉がなくても自立できるじゃない」
などといった溝があって、
普段は別々に集まるのですが、両方に属する私は、両者の考え方の違いが興味深かったりします。



 もちろん、ニキさんが本物かどうかというのは、気にならないと言えば嘘になります。
けれども、それよりも気になるのは、周囲の彼女の持ち上げ方です。
なぜ、数多くいらっしゃる当事者の中で、
彼女だけがあれほどクローズアップされたのでしょうか?
また、あのように持ち上げられて、彼女が周囲に誘導されたり、
周囲の期待に応えるように受け答えをしたりして、本人の意図せぬところで、
違った自己理解をしてしまったということは考えられないのでしょうか。





 B君なんかはよく、相手に合わせて(あるいは誘導されて)深く考えもせずに
受け答えをしては、そのセリフのせいで墓穴を掘りますから、
同じようなことになっていたとしたら、彼女も被害者になりますね。




 彼女には防げなくても、
自らをモニターしにくい特徴を持っている可能性を知っている関係者なら、
防げたはずですから。
もしかしたら、周囲がこんなに彼女ばかりを当事者として利用しなければ、
山岸さんが彼女への疑問を抱くこともなく、
あるいは、早めに関係者が山岸さんの質問に真摯に答えていれば
(健康保険証で診察した医師なら、「僕(私)が診断しました」と宣言されればいいだけですよね)、
彼女は今、このように疑われるようなことはなかったのかもしれないと思うと、
誹謗中傷だとか告訴だとか脅かされている山岸さんにしろ、ニキさんにしろ、
いい迷惑だな~と思ったりしています。





 確か、山岸さんは横浜の有名なクリニックで診断されたとブログで読んだような気がするのですが(違っていたらすみません)、
いきなり裁判だどうだということではなく、横浜のクリニックの先生方や、
ニキさんとかかわりのある有名な先生方が本人達に代わって話し合われてはどうかと
思うのですけどね。
私は、積極的に理解と支援を啓発されている先生方が、なぜ、関係ある当事者に対して
知らんふりされているのかがわからないでいます。





 また、彼女が本物だとして、何冊も出しておられる売れに売れた本の内容が、
読者のそばにいる自閉症の人に役立ったのかどうかということも気になります。
この騒動で、ニキさんの本は、B君の診断前に購入して読んだことを思い出し、
最近、彼女の本を読み直してみたのですが、B君には、彼女についての記述は
あてはまらないことが多かったです。





 「自閉っ子、こういう風にできてます!」は、感覚に過敏や鈍感なのは、
B君も同じだけれど、エピソードは全く違っていました。
「俺ルール」は、エピソードは似てるんです。でも、その後の解説とか学習の仕方が、
B君とは違うんですよね。





 自閉症は千差万別で、個々に違うのは当たり前のことなのに、
B君から自閉症というものが見えてくるまで、ニキさんとB君の違いのようなものには、
気づけていなかったんです。不思議ですね。





 B君がアスペルガー症候群と診断される前、しゃべらないA君の障害特性が全く理解できず、
それでも「少しでも社会に適応できるように」と、なんとかスキルを身につけさせたくて、
アプローチの仕方を模索し、こちらの主観で想像するしかなかった頃、
ニキさんの本は、救世主という感じでした。
学校の先生にも見せ、皆で「なるほど、こういうメカニズムだったのか」と喜んだものでした。
当時の私は、ティーチにもはまっていて、勉強会でカードやスケジュール、
自立課題などを作成しまくっていました。
そして、周囲が驚くほどにA君は学校や家庭で適応していきました。私は有頂天でした。





 そのあとしばらくして、B君がADHDではなくアスペルガー症候群であったことが判明し、
混乱しました。
私が理解していた自閉症というものと、B君のそれは、大きく違っていたからです。
そうこうしているうちに、A君が大爆発してしまったんですよね。





 ですから、私や周囲の人間がそうだったように、保護者や教師が、
ニキさんの本やティーチ関連の本を妄信的に信じて、そばにいる当事者を無視して、
安易にあてはめることに危険を感じています。





 「ニキさんの本は、自閉症のバイブルだ。」「このティーチの本はいいよ。」
などと話題になったのは事実ですし、
「お子さんとは違うかもしれないけど」「お子さんには合わないかもしれないけど」
と警告することなく、これらの本を薦めた保護者や医療・療育・学校関係者は多かった
ですから・・・。
例え警告したとしても、保護者が社交辞令的に受け止めたり、その違いがどういうものか
わかっていなければ、警告していないと同じなんですよね。
親は必死ですから、そのような情報があれば、躊躇無くとびついてしまうんです。
また、飛びつかないことが「こどもを大切に思っていない」というプレッシャーになって、
仕方なく実践するという方もおられました。
私の場合は、乗り気になって頑張っていましたが。
当時を思い出すだけで後悔の思いがこみ上げてきます





 A君タイプの子を持つ親は、こどものことがわからないから、わからないままに、
一般的に良いとされることをしようとして、結局はこどもを追い詰めるという失敗をしがちです。
本当はわが子をよく観察して、何かしら芽生えたところを育てるときに、
支援を用意してあげればいいのですが、
実際は、観察の仕方(視点)がなかなかわからない、芽生えなんて見落としてしまう、
時間ばかりが無駄に経過しているようで焦ってしまうなどなど、簡単なことではありません。

この観察も、「うちの子はこうだ」と思う根拠が本や講演会からということが多く、
保護者はわが子を観察しているつもりでも、
実は色眼鏡を通してみているということに気づけていないことが多いです。
私もそうでした。
だから、こどもを観察するところを、本や講演などに頼り、
「自閉症だから」という色眼鏡をかけた状態から支援がスタートしてしまい、
そこから先を必死で頑張ってきました。
例えば「自閉症だから、見せたらいい」と視覚的なものを提示し、
「見せても意図がずれる」ということに気づけていませんでした。




 ちょうど、私と同じように頑張った数人の保護者は皆、後悔を口にしています。
あるお母さんなんかは、積極的に学校関係者へお話をしにいっています。
彼女のお子さんは、A君よりもお話ができて、一人で買い物に行ったり、
バスに乗れるほどのスキルを身につけました。
その様子は、無理強いしているという感じではなく、写真の手順表を用意したり、
ごほうびを用意したりして、本人も納得して取り組んでいたように見えていました。
学校でも先生に「今日も嫌がらずに頑張っていました。」と褒められていました。


ところが、中学生になって大爆発をしました。
「バスの練習したくなかった~!」「学校、嫌だった~!」と言い続けながら、家中の家具を壊し、
破壊行為が止まらなくなったそうです。
小学校時代の大人しい彼からは想像できないような変貌ぶりです。
今は、フラッシュバックするたびに大暴れして、学校にも行けていません。
「学校・・」と聞くだけで暴れるからです。
彼は今、精神科にかかっています。
「まさか、うちの子がこんな風になるなんて思わなかった。」と、後悔されています。





 そろそろ、幼児期に早期療育が流行り始めた、
A君の年代の子達を追跡調査してみてはどうかと思ったりします。
他の障害のお子さんや他の地域はよくわかりませんが、
私の住んでいる地域の自閉症の子たちは、結構2次障害がひどいような気がします。
早くから診断され、療育機関に関わっていたにもかかわらず・・。

あるお母さんは、
「私、あの当時は皆についていけなくて落ち込んだけど、今はよかったって思う。」
とおっしゃいました。耳が痛かったですね。




 なんだか、早期療育って、
いつ爆発するかわからない時限爆弾を仕込んでいるような気がします。
周囲から「これは正しい」と言われて頑張ってきたものの、
その根拠のなさに気づいた瞬間に・・・、
あるいは頑張ったけれど我慢の限界にきて、突然爆発するって感じでしょうか・・・。
周囲の無理解からくる爆発って、未診断だけでなく、
診断後の療育にもあてはまるんだな~と、改めて思います。




 だから、何かをする前に、
「はたしてこれは、本当に根拠のあるのものだろうか。」
「わが子に負担をかけないだろうか。」とじっくり考えるといいのではないかと思います。
根拠については、おそらくほとんどのことが、
説明できないことだったりするのではないかと思います。
「社会に適応できるために」なんて、ダントツ1位ではないでしょうか・・・。(^_^;)




 反面教師がここにいます。
同じような失敗をせずにすむお母さんが増えるとうれしいです。
自分では、なかなか気づけないのです。
誰かが指摘してくれても、なかなか認められないのです。とてもつらい葛藤が起こるでしょう。
そして、その葛藤から開放されて、自分の失敗に気づいた後は、
より大きな後悔と懺悔の気持ちが待っています。
時には爆発に加担した人への恨みごとも言いたくなります。



 それでも、立ち上がって生きていくしかないのです。



覚悟・・・できていますか?

(自閉症の人とそうでない人との話)より。


つづく

【自閉症テレビ20】いくつある自閉症のタイプ


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自閉症のいちばん分かり易い理解の仕方 [SAM]

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1989年 ローナ・ウイングを筆頭にアトウッド、バロンコーエン、フリス、ハッペ等の研究が結実し、
自閉症の理論的な定義が医学界で受け入れられ、判定基準となりました。

それまで、特に知恵遅れの子でも、果たしてその子供を自閉症と言うべきか否かは、おおよそでしか
判断出来なかったのです。






それが理論的に自閉症か否かを判断出来るようになり、知能が高い自閉症がいる事も証明されました。
その知能の高い自閉症を「アスペルガー症候群」とし、過去の呼び名を現在に蘇らせ流用しました。
古典的自閉症のカナー型から知能の高い自閉症アスペルガー症候群。
すべてのタイプを「自閉症スペクトル」に含まれるモノ、一つの障害として定義づけたのです。






此所に至るには、人工知能の生成ロジックや人間の認知研究の結果も非常に大きな力を発揮しました。
用語ばかりが難しい自閉症の理論ですが、最も分かり易いのが今日の話です。






子犬にカガミを見せます。子犬は仲間が居るかとカガミに鼻を付け、さらにカガミの裏側に回ります。
これで、カガミはカガミであり仲間では無いと知ります。そして、もう興味を持ちません。
トリから猿、イルカまで同じ行動をとります。  これは動物の行動です。






18ヶ月以前の幼児にカガミを見せます。カガミに向かって笑いかけたり、手で触ろうとしますが、
それで終わりです。これも動物と同じ行動です。






22ヶ月を過ぎた幼児にカガミを見せます。この時、鼻の頭にクリームを少し付けます。
鼻の頭にクリームを付けた顔を見て大笑い。すぐに自分の鼻にクリームが付いていると判断し、
鼻に付いたクリームを取ろうとしたり、大笑いしながら母親に見せようとしたりします。

この行動は、「カガミに映っているのは自分の姿である」と認識したと言う証明です。つまり「マインド」(この場合は自我)を持っている。自分と言うモノを認識していると言う事です。






この実験は、人間の認知を知る実験として広く知られ、ディスカバリーチャンネルでも非常に上手に
映像化されていますから、皆さんもテレビで見た事があると思います。






この18ヶ月から22ヶ月のほんの4ヶ月間に、人間は「マインド」「自我」を獲得する事をこうして
証明されたのです。
動物と同じ行動止まりだった幼児が、「マインド」「自我」を獲得し正常な人として成立した瞬間です。






一方「マインド」「自我」を獲得せず成長した人間が存在します。「マインド」「自我」を
持たない18ヶ月以前の幼児のまま成長したと言う事です。
その状態の人の事を「自閉症スペクトル」自閉症者と呼びます。
つまりサイモン・バロン=コーエンが「マインドブラインドネス」の理論で証明した人の事です。






ですから、正確な診断には22ヶ月以降になるまで待つ必要があるのです。

また非常に知能が高くこの指標をすり抜けた場合でも、その後の指標、例えば「サリーとアン」の課題
であったり、その他の判定基準とする課題があり必ずいつかどこかの時点で判定がつきます。






自閉症とは「マインド」を獲得出来ない事、つまり「マインドブラインドネス」である事。
「マインドブラインドネスの人、この人の事を自閉症と言う」と言う事なのです。






さらに分かり易く言うと、どんなに知能が高くてもマインドに於いては
「動物と同じレベル」と言う事なのです。






医師が知能の高い自閉症児を診察し、判断出来ず「グレーゾーン」とする事があったとしても、
自閉症の「グレーゾーン」は存在しません






「マインド」があるか無いか。「マインドブラインドネス」であるかどうかだけなのです。



理解出来ない人はコメントをどうぞ

【自閉症テレビ13】見て分かるアスペ


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発達障害と感覚過敏 [発達障害のウソ]

ネット上では「発達障害で感覚過敏」が定番だ。
感覚過敏だと言うんだからそうなんだろう。でも私は違う





誰もが感覚過敏と言うけど、感覚過敏って何なんだろう
今まで読んだ自閉症の論文の中にはほとんど感覚過敏を取り上げた論文は無い。




強いて言えば、感覚の敏感性と言う事で項目を挙げたトニーアトウッドの論文ぐらいだ。

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ただそれも、感覚の敏感性(sensory sensitivity)

「発達障害で感覚過敏です」と言う人の話を読むと、
全員が見事に感覚過敏(Hypersensitivity)を訴えている。




日本で、知ったかぶりがアトウッドの本を読めば、
感覚過敏感覚の敏感性も同じに見えて、同じだと勘違いしてしまうが、
原語で読むと、sensory sensitivityHypersensitivity
単語も表現も違うから、全く違う意味、違う意図を持って論理展開をしている事が分かる。





しかし、誰も原著にこだわったりしないからね。日本の本はこうなっている。
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この項目については、自閉症の感覚の敏感性(sensory sensitivity)
について論じているのであって、
自閉症が感覚過敏(Hypersensitivity)だと論じている訳では無い。





感覚の敏感性(sensory sensitivity)とはどう言う事か。
例えば、犬の鼻は匂いに敏感(sensory sensitivity)だ。  分かるよね。





だからといって、いつもどんな匂いにも反応し続けはしない。もしいつも匂いに敏感だったら、
飼い主の足が臭かったら、部屋に入っただけで臭いで吐きまくっていなければならないし、
屁でもこいたら、犬はバク転して憤死してしまう。





匂いに敏感(sensory sensitivity)な犬でも、日常は普通に生活できるんだ。
これが感覚の敏感性(sensory sensitivity)





ところが、感覚過敏とは何か。これは人間に取って非常に重要な感覚。




例えば、本当に具合の悪い時、肌を触る風さえヒリヒリする様な感覚で、
さらに具合が悪くなる感じというのは分かるだろう?




この様に、日常に対して、何か身体の異常を感じた時に、
感覚過敏(Hypersensitivity)と言う形で人間は感じる事が出来るし表現する。
その異常な感じ方は、医者にとって患者の症状を知る重要な一つの手掛かりになる。




だから、感覚過敏(Hypersensitivity)は誰にでも起こりうる事なんだ。





ただ、ネット上の「発達障害」の人が訴える感覚過敏(Hypersensitivity)は、
不思議な事に、
統合失調症の人が訴える感覚過敏(Hypersensitivity)の症状そのものなんだ。





さらに驚く事に、先日ドコかの会社で「自閉症の見る世界をバーチャルで再現」という
製品が発表された。
これも、開発者が自閉症?当事者で開発に関与して完成したと言う事だったのだが、
その解説を見ると、驚いた事にあの「草間彌生」さんが、子供の頃から見ている世界
そのものを再現している。





少なくとも、私が見ている世界とは違うし、
マインドブラインドネス」である私たちが、
正常である人達の見え方を「想像」して作れるなら、
「他人の気持ち」も簡単に想像出来る事になる。





統合失調症の人が見る世界を再現した、と言うならすべてに矛盾がないんだけど、
まあビジネスとして成立するんだから仕方ないか。





でも、私が見えてる世界でも無いし、妻が見えてる世界でも無い。
だから、何か根本的な所で間違っている様な気がするし、
またそれで、子供達が壊される事になると、困っちゃうんだよね。



2023/09/10追記:感覚の敏感性を上手く教えてくれるのが、タヌト
彼の話は、まさしく敏感性。


つづく

【自閉症テレビ27】感覚過敏?アスペルガー2


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