ゆびの先にあるのは? [見る]
他の人に分からせるためのコミュニケーションツール指差し。
それを分解すると、こうなります。
目で見ている事は、自分自身で分かり切っています。
腕を持ち上げ、指し示す事で他の人の注意を引き、なんとか知らせようとします。
その知らせる部分、コミュニケーションの部分が腕であり、指先が指し示す方向なのです。
(妻はこれが上手く出来ません)
しかし、目をつぶってみます。
知らせたいモノは目で見た位置にまだあります。つまり、頭の中にあると言う事です。
目をつぶった今、目の代わりをしてくれるモノはナニでしょう。
それは、腕でありさらにはその指の先です。
目をつぶっている今、目の代わりをしてくれている指。この時、感覚的には
指の先に目が付いている感覚です。
【自閉症テレビ25】自閉症サンプル
ひとりだけのゆびさし [見る]
目をつぶった今、自分を代弁してくれるのは指先だけ。
だから、正確に指差しが出来ているのです。
そしてそれを理解するのは第三者、一緒にいる誰かです。この指差しを理解出来るか出来ないか、
後は相手の能力次第。相手任せなんです。
つまり、指差しを使いながら、誰かと相互に確認しながらと言うコミュニケーションとしての指差しは
成立しておらず、あくまで一方的な「意向表明」。
相手が居るかいないか、相手が見ているか見ていないかを全く考えず、自分の意図だけを表明する
「目をつぶった指差し」はきちんと出来ています。
しかし本当の意味でのコミュニケーション。コミュニケーションの手段としての、相手の反応を
見ながら、相手にきちんと知らせる、分からせるための指差し。
目を開けて、知らせたいモノを見ながら、相手の反応を見ながら、指を指す指差しは出来ないのです。
これはものの見事に、この注意共有
注意共有の仕組み Shared Attention Mechanism つまりSAMを獲得していない事を
示しています。
この説明で少しはSAMと言われるモノの内容を理解して頂けたでしょうか。
そしてさらによく言われる視覚優先。
視覚優先なのに、なぜ目をつぶると指差しが出来る様になるのでしょう。
【自閉症テレビ28】自閉症ファンタジー
指を指すまとめ [見る]
IQ129もありながら、指差しが出来ないアスペルガー症候群の妻。
その妻の指差しをタネに色々考えて多くの事が分かりました。そこで一旦まとめてみます。
1.自閉症児は指差しをしない(周知の事実)
2.アスペルガー症候群で知能が高くても指差しが出来ない。
3.コミュニケーションの手段としての指差しは出来ないが、目をつぶり自分の為の指差しは出来る。
4.3.により、注意共有が出来ない事が明白になった。
5.注意共有とはSAM(Shared Attention Mechanism)の事である。
6.SAMを持たないアスペルガー症候群(私)は指差しが出来るがコミュニケーションとして
成立しているのでは無く3点計測の一種として理解、獲得した。
注7. 3.で見る様に目をつぶると指差しが出来る。
これは視覚情報がジャマをしていると強く感じられる。
自閉症児は視覚優先という情報を断片的に理解すると非常に危険。
視覚情報は優位に働く場合もあるし、阻害に働く場合もある。
その視覚優先を安易に利用し、絵カードで自閉症児をコントロールして
子供を壊した実例があるからだ。
妻が出来なかった指差しを分析して行くと、図らずもSAMの欠陥に結論が行き着きました。
実際に指差しの実験をやってみて、こどもに「心理的要求・心理的負担」つまり、
「憶えてくれるとおかあさんが嬉しいんだよ」とか
「憶えないとお父さんが悲しむよ」と言う様な心理的な要求をしなければ
指差しゲームは楽しいモノですし、学校でも戸惑う事が少ないかもしれません。
ただ、基本的に「指差しは出来ないモノ」と理解しておいて下さい。
その理由は次以降で解説します。
【自閉症テレビ25】自閉症のサンプルは?
箱根彫刻の森美術館 [見る]
私はピカソが大好きで、東京の大森に住んでいた頃は年に3度は箱根の彫刻の森美術館へ行き
ピカソを楽しんでいました。
芸術家や音楽家になりたい人は無い才能をなんとかかき集め、ひとつだけでも創り出せればそれで成功者。
ところがピカソは芸術家になるのが目的では無く、ただ溢れ出て来るモノを表現する為に存在していて、
その多作とアイデアと共に、見る者に対して媚びていないところに本当に惹かれます。
そのピカソの重要な部分が「見る」と言うところなんです。
【自閉症テレビ12】見て分かる?自閉症
走る少女 [見る]
上野の西洋美術館にピカソの走る少女が来たので、上野まで見に行きました。
走る少女は、スケールが大きく茫洋とした雰囲気が大好きで是非1度現物を見てみたかったんです。
本物を見て本当に驚きました。20号か40号ぐらいの大きなキャンバスに伸び伸び書かれていると
思っていた走る少女(砂浜を走る女)。
実物はミニチュアール。小さなキャンバス。あんなに遠くに浮かぶ空の雲は、丸筆の中筆で一筆で
描かれたモノでした。
さすがピカソ。ミニチュアールであれ程の存在感大きく膨らむ様な絵を描けるとは本当に驚愕しました。
他にも見た事の無いピカソの実物も数点見る事が出来ました。
そんな中、妻がピカソの絵をじっと見たまま動きません。
美術館を出てから妻が面白い事を言い出しました。
【自閉症テレビ29】自閉症とサンタ
飛び出す絵 [見る]
「知ってた?ピカソの絵ってじっと見て目を凝らしているとあるところで、グググって突然立体に
なって見えるんだよ」
「ふーん」その時はそうだとも違うとも言いませんでしたが、実は私にも同じ様な体験があったのです。
何の為にやったとかは全く憶えていませんが、より目の様な、斜視の目のまねの様な事をやりながら、
目玉にグググっと力を入れていたところ、突然、目の前のモノの「虚像」がグワッとせり出して来て
驚いた事があったのです。
その後再現できなかったそんな体験がありましたから、妻の話は非常に頷ける話でした。
面白い話はさらに続きます。
【自閉症テレビ28】自閉症ファンタジー
脳内の映像信号 [見る]
★「人は本当は立体視してないんだよ」
★「言ってみれば見てるモノはすべて脳内の幻覚だって言えるよ」
ピカソの絵が目を凝らすと飛び出すところから、今度は突然飛躍した話に展開しだしました。
妻★が突然始めた面白い話。これはアスペルガー症候群独特の、極端に省略された表現方法ですから
簡単に分かる分からないの話ではありません。
まずその言わんとする内容がどの様な事なのか、切り口を変えながら問いかけ続けなければなりません。
そもそも私たちが目で見えるモノ。目で見てるモノと言うのは、物が脳内にあるわけではありません。
目に入った映像が、電気信号に変わり、視神経を通り、最後に脳に達し脳内で映像化して初めて
モノとして認識できます。
その意味で言えば「私たちが見ているモノ」は脳内にある限り物体では無く、映像信号としての
「電気信号」です。
ただの「電気信号」をあたかもモノであるかの様に「錯覚」しているわけですから、
★「言ってみれば見てるモノはすべて脳内の幻覚だって言えるよ」
と言う表現は乱暴ではありますが、間違いではありません。しかし、医学で言う幻覚と妻が言う
幻覚では定義が異なります。
妻の定義では「脳内の電気信号が現実を脳内で再現した映像」
医学的には「現実に無い映像が、あたかも見える、或いは見えたと錯覚する」と言う事で違います。
ただ、確かに「見える」と言う事は、脳内の電気信号による「映像」ですからその人がどの様に
「見えているか」は、その人以外分からない、と言うのも真実に違いありません。
【自閉症テレビ30】思うと騙し