2022年7月17日更新

片岡聡さんの当事者の発表スライドがあまりに面白いので、予定を変更して「聞く」の話へ。






スライド8に園児の声が洪水の音に聞こえたと言う話。



これは、非常に重要な事項を含む事例だと私は考える。






人間は、不思議なモノで、例えばパチンコ屋の騒音の中でも、工場の中でも、それこそ片岡聡さんが
言う洪水の中でも、「選択的に音を聞き分け」会話をする事が出来る。






この能力はその状況下では選択的に音を聞き分けられても、これが一旦録音されると、すべて同じ
騒音に掻き消されて聞き取れなくなる。






それこそ、現場ではもっと騒音が大きかったのに、キチンと聞き取れて、さらにその場で会話をして
いたのだ。






つまり、音を聞き分けるのは、音の大きさでは無く、コミュニケーションの一つのパーツとしての声
だから、騒音の中でも、コミュニケーションの一部の声を選択して聞き出す事が出来たのだ。






ところが、録音になるとコミュニケーションツールの声では無く、騒音と同等の価値しか無い音の一種
として声が存在するから、簡単には聞き分ける事が出来なくなる






つまり、正常な人でも、一旦コミュニケーションの糸を切ってしまえば
声といえども、騒音と同じ音になる






ここからは、想像になってしまうのだが、恐らく片岡聡さんは自閉症の子供としても、言葉がおそく、
仮に言葉を発する様になっても、コミュニケーションの道具として、使える様になったのは、
相当遅かったと思われる。






保育園に行っていた頃は、声が時にはコミュニケーションツールになる事を
全く分かっていないから、園児の声だろうが、犬の吠え声だろうが洪水だろうが、同じ騒音にしか
聞こえないし、その価値も同等でしか無い






だから、今振り返っても、「園児の声が洪水」と言う表現になる。






実は、私の妻が片岡聡さんと同じタイプで、発語は異様に早かったのだが、それはオウムのオウム返し
と同じエコラリアが成した技






片岡聡さんの様に「洪水」とは表現しないが、騒音(特に人の声の渦)の中で選択的な声の抽出
なんて器用な事は全く出来ず、駅で名前を連呼しようと、デパートで呼び出しを掛けようと、とにかく
聞き分けと言う事が出来ないし、人間の騒音、人出の多いところに行くとすぐ弱ってしまう
2024年2月1日追記:選択的聞き分けについて、専門書にも同様の記述があった。流石専門家。



動画もみてねー
【自閉症テレビ29】ファンタジーと自閉症