むかし自閉症か否か、なんの手掛かりも理論的な裏付けが無かった頃、
「あの子は可愛いから自閉症だ」と言う様な見方を現場でしていた。



一見根拠が無いようだが、私には頷ける所がある。
それは、自閉症の子供のひとみが、真っ黒で大きく開いているのが特徴だからだ。



人が、人に対して好意、興味を抱くと瞳が開くことが知られている。
それを本能的に知る「ヒト」は、ひとみが大きい人を好ましく可愛らしく感じる。

その心理を利用するのがアイドルで、コンタクトを入れたり瞳が大きく見える様にテクニックを尽くす。



ひとみが大きく開いている自閉症。つまり黒い目を持つのは私だ。



一方、妻はひとみが極端に小さく、いつも閉じていて茶色い目を持つ自閉症だ。



共通するのは、ひとみの開き方が正常では無い事。

わたしのひとみは、普通より開きすぎていて、妻のひとみは普通より閉じすぎている。
これは、脳からの制御がうまく出来ていない証拠でもある。



茶色い目を持つ妻は、部屋の中でもまぶしいまぶしいをくり返すくせに、
カンカン照りの屋外で帽子も被らず平気で仕事を続けることが出来る。



黒い目を持つ私は、薄暗い部屋でもほとんど暗いと感じることは無いが、
外へ出ると、まぶしくってしょうが無い



これ程、両極端に居ながら、同じ自閉症。
同じ自閉症だからこそ、どちらも両極端なのか。



この事を、評論家、学者が「感覚過敏」と総称するのはあるだろう。



だからといって、「私は自閉症だから感覚過敏なのです」とは絶対ならない!



何故なら、それらは自分の事であって、あたかも他人が見たような表現はしないし、
出来ないからなのだ。

「感覚過敏」は概念であり、自閉症は概念を理解出来ない
さらに、マインドブラインドネスなんだから、あたかも外から自分を見るような表現
できないのである。



それが出来ると言う事は、自閉症、自閉症スペクトルでは無いと言う証明なのだ。

つづく

【自閉症テレビ4】車輪を回す自閉症1